超大国支える底深い信仰心



 昨年オープンしたばかり、という博物館に来ている。
 館内に入ると、電気仕掛けの恐竜が首を振り上げて、こちらを威嚇する。
 どこかの娯楽施設並みの凝りようだ。それもそのはず、米国のユニバーサル・スタジオでジョーズの模型を製作した人が展示責任者だという。

 その隣では原始人風の女性がほほ笑んでおり、解説にはこう書かれている。地球の歴史は6千年で、恐竜と人間は同時代に生きていた。
 えっ、ちょっと待った。地球の誕生は約45億年前って、学校で教わった気がするが。
 実はここ、米ケンタッキー州の「クリエーション(天地創造)博物館」は、聖書の教えは現実に起きたことだという考えに従って「地球の歴史」を展示している。

 キリスト教非営利団体が、2700万ドル(約29億円)かけて建設した。恐竜や哺乳類に加え、アダムとイブ、ノアの方舟などの模型が約130体。「常識」の平衡感覚が狂い、軽いめまいをおぼえる。
 宗教とのかかわりと言えば初詣でと葬式ぐらいの私は、この途方もない信仰心に、ただ戸惑うしかない。聖書の教えを広めるために、ハリウッド式の技術を総動員して博物館を造ってしまうなんて。

 博物館を訪ねた日、一軒の民家に泊めてもらった。
 フランク・ツィツマンさん(51)、スーさん(47)夫妻は、来館者に無料で宿を提供している。大勢の人に博物館を訪ねてもらうことに、喜びを感じているという。「聖書は神が書いた言葉。だから、天地創造は真実なんです」
 同じ考えを持つ人は、米国では少数派ではない。聖書の言葉をすべて真実だと唱えるキリスト教の一派、福音主義者(エバンジェリカル)は、米国民の2割から4割とされる。ギャラップ社の昨年の世論調査では、「聖書は一語一語、現実を示した言葉」と答えた人は31%に上った。

 聖書の教えに従い、中絶反対、反同性愛を主張して政治にかかわる人々は、キリスト教右派と呼はれる。04年のブッシュ大統領再選の原動力となり、今年の大統領選でも動向に注目が集まる。
 多様な価値観を認めてきた移民国家・米国は半面で、聖書を絶対視する強い信仰を、岩盤のように抱えている。「あの出来事がなければ、私たちは、ここに来ていなかった」。夕食後、ツィツマンさんは、語り始めた。
 夫妻は4年前、17才の末っ子をオートバイ事故で亡くした。深い悲しみに陥った時、頼りになったのは、医者が勧める精神安定剤ではなく、聖書の言葉だったという。

 「聖書を信じれば、悲しみを感じないのではない。その悲しみに自分が乗っ取られない、ということなんだ」
 人はそれぞれ、不幸や不条理と、自分自身のやり方で折り合っていくしかない。夫妻を救ったのは、聖書だった。
 その一方で、ツィツマンさんは、こうも話した。「米国は神に祝福された国であり、全世界に責任を持っている。テロとは戦わなければ。戦争は早く終わって欲しいが、ブッシュ大統領に投票したことは後悔していない」

 ここで再ぴ、私は戸惑う。世界最強の軍隊を擁し、力による外交で「自由と民主主義」を世界に広めようとする超大国の振る舞いの根っこに、この夫妻のような人々がいることに。
 イラク戦争に突き進み、双方に多数の犠牲者を出したブッシュ政権を支えたのは、信仰心あつき人たちだった。心の底から善良であると同時に、自らが信じることを絶対唯一のものであると考える人々と、私たちは、どう向き合えばいいのだろう。

 夫妻は今日も、全米から訪れる人々を、無料で泊めている。咋年5月の開館以来、この博物館の来訪者は、30万人を超えたという。

(2008−2−3 朝日新聞)



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