オバマ氏はこんな人…枠飛び越えて



 47歳で米国のトップに立つオバマ氏はこれまでの人生で、人種、文化、地域など自らを取り巻く環境にしばられず、既成の「枠」を軽々と飛び越えてきた。自分の内なる多様性を認識し、したたかに動き、クールに振る舞う。全米を熱狂させるオバマ氏とは、いったいどんな人物なのか。

■多様性…違う文化に触れて育つ
 「私が受け継いだ多様性に感謝する」
 「多様性」は、自らを語るときにオバマ氏自身がキーワードとする言葉だ。
 父はケニアからの留学生の黒人で、母はカンザス州生まれの白人。二つの大陸から来た2人が、太平洋の真ん中のハワイで出会い、オバマ氏が生まれた。両親は「祝福されたしという意味の「バラク」というアフリカ系の名前を与えた。

 だが、その両親が離婚。母はインドネシア人と再婚し、6歳のオバマ氏は母と2人、インドネシアに移り住んだ。ジャカルタの家の近くのモスクでムスリム(イスラム教徒)の友だちと遊び、巻きスカートのような衣装も身につけた。ただ、礼拝には参加せず、近所の入は「あの子はムスリムじゃない」と断言する。

 その一方でオバマ氏は、イスラム文化に触れながら自分が米国民だと意識し始めた。小学校の作文には「米国の大統領になりたい」と書いていた、と当時の教師は振り返る。
 71年、祖父母の住むハワイに1人で戻り、名門プナホースクールに入学する。日系や中国系、白人、黒人、先住民が一緒に暮らす多様性の島で、異なる人種、民族に寛容な「アロハ・スピリット」は自然と身についた。

 lO代のオバマ氏は陽気で背が高いバスケットボール選手だったが、文芸クラフで詩を書く内省的な一面も。黒人であり、白人であり、インドネシアとハワイで育った複雑なアイデンティティー。自らの歩みがはらんだ矛盾と多様性を自分の中で消化していく過程は、米国という巨大な国を舞台に、オバマ氏が呼ぴかける統合への努力につながる。

■強い心…貧民街での活動が原典
 一方、政治家オバマ氏を語る時に欠かせないのが「したたかさ」だ。
 それを育んだのが、85年に当時24歳のオバマ氏が飛び込んだシカゴ南部の黒人貧民宿サウスサイド。住民の生活改善に携わる非営利団体の地域活動家(コミュニティー・オーガナイザー)として、生々しい現実と向き合った。

 麻薬売買などの犯罪は日常茶飯事。人々を集め、行政と話をつけ、生活の向上を目指す。この中で、感情を抑え、忍耐強く交渉する術を身につけた。黒人としてのアイデンティティーを強めたのも、この頃だ。黒人教会の牧師の説教に触れ、演説も少しずつうまくなった。
 何より、一人ひとりの人々の苦しい暮らしを目の当たりにした。それが草の根からの変革を目指す政治家オバマ氏の原点になり、共感を広げ、成功に導いてきた。現実主義と理想主義が溶け合うオバマ氏の根っこは、ここにある。

 96年に35歳でイリノイ州議会上院議員に初当選。だが、シカゴ政界は甘くない。政争が激しく、汚職も横行する。オバマ氏はOO年、連邦下院議員選に打って出たが、予備選で現職の黒人議員に敗北する憂き目にあった。当時、選対幹部だった弁護士ジョン・コリガン氏は「オバマは政策通だが、同時に非常に健全な現実主義者でもあった。シカゴ政界の生き残りに必要な交渉から逃げなかった」と振り返る。

 オバマ氏は02年10月、シカゴのイラク反戦集会で演説し、イラク戦争開戦に反対した。反戦への信念よりも、単独軍事行動が世界での米国の立場を弱める、という冷静な情勢判断に基づいていた。

■発信力…巧みな演説・ネット駆使
 オバマ氏が彗星のように米国民の前に登場したのは、04年7月の民主党全国大会での基調演説だった。
 「リベラルな米国も、保守的な米国もない。あるのはアメリカ合衆国だ。黒人の米国も白人の米国も、ラティーノ(中南米系)の米国も、アジア系の米国もない。あるのはアメリカ合衆国なのだ」

 保守とリベラル、白人と黒人の分断を、多様性を体現する自分が癒やし、団結に導くというストーリー。それがオバマ氏を米国のトップである大統領にまで押し上げた。
 その内容が共感を得たのはもちろんだが、演説の巧みさに加え、そのクールな風貌が説得力を増していたのは間違いない。実際、オバマ氏の「かっこよさ」は多くが認め、ファッション雑誌の表紙を飾ることも珍しくない。

 自他共に認める「ケータイメール中毒」で、選挙戦の最中も、メールやホームページが見られる端末「ブラックベリー」を手放さなかった。大統領になると情報管理の点で問題があるが、本人は手放したくない、と言い張る。それも、若い世代には従来の大統領イメージを超えた「かっこよさ」と映る。

 今回の大統領選では、陣営の組織管理や、インターネットを駆使した資金集めの巧みさでも名をあげた。
 家族思いてあることも支持を広げる理由のひとつ。長期休暇には一緒に故郷ハワイで過ごす。毎朝ジムで体を鍛え上げており、昨年末には、海辺で筋肉質の上半身をさらした水着姿の写真がタブロイド紙をにぎわせた。

(朝日新聞 2009-1-21) 



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