「0」のインド、「9」の中国



 数学的思考の原点であり、コンピューターサイエンスの基礎概念でもある零(ゼロ)という数を発見したのはインド人だった。
 近年のIT分野を柱としたインド経済の躍進も際だっただけに、「数字に強いインド人」との評価はすっかり定まった感がある。日本人の九九は「9×9=81」までなのに対し、インドの子供たちは義務教育段階で「19×19=361」まで暗記させられるというからすごい。
 その「零」に対し、「9」という最も大きな数を愛するのは中国人である。

 そもそもは皇帝が最大の数を自らの権威の象徴と見立て、中国語の発音が「9」と「久」は同音なので、「わが権力よ、幾久しく」との願いも込めて好んだものだった。
 北京の旧皇城である故宮には、そうした発想が随所に反映されている。一説には故宮内の建物は全部で999、柱と柱の間を1部屋として計算すると、部屋の総数は9999になるのだとか。

 現代中国でもマイカーを手にした富裕層はナンバーに「9」が多いと大喜びだが、その一方で年号の末尾に「9」がくる年は「必ず一波乱がある」と信じ込む庶民も少なくない。
 そもそも中華人民共和国の建国が1949年だが、現代史年表をたぐると、ざっと次のようになる。

59年 チベット動乱。大飢饉の最初の1年。
69年 ソ連と軍事衝突。中国指導部が対米傾斜へ。
79年 米中国交正常化。中越戦争が勃発。
89年 天安門事件。ダライ・ラマにノーベル平和賞。
99年 マカオの主権返還。気功団体が共産党本部を包囲デモ。

 そして09年はといえば、人間にたとえると「還暦」となる建国60周年を10月に迎え、すでに解放軍ではパレード訓練が開始されたとか。だが盛大な祝賀行事の前には3月のチベット動乱50周年、5月4日は青年層の愛国運動の原点である「五・四運動」90周年、6月の天安門事件20周年と、やっかいな関門が次々と待ち構えている。

 一方、インドは今年5月までに総選挙がある。自由選挙で政権交代を実現してきた実績を「世界最大の民主主義」と誇るが、選挙のたびに多宗教・多民族の複雑な国内事情を背景とする流血の事態が多発するのが現実だ。
 経済改革は中国の改革開放政策に遅れたが91年の湾岸戦争後に自由化に踏み切り、近年は9%超の高度成長を実現し、新興国の代表格に躍り出た。しかしグローバリズムによる格差拡大や雇用状況の深刻化が伝えられる。

 昨年末、米国の国家情報評議会(NIC)が4年に1度発表する「世界情勢報告」は2025年のシナリオを「米中印3カ国の鼎立時代」と描いてみせた。
 これからのアジアの大勢は確かにそうだろう。両国で続々誕生する中間所得層が厚みを増し、内需が拡大すれば世界経済の先導役として期待できるのは確かだ。

 しかし「巨象」の台頭の象徴だったムンバイを痛打したテロ事件や、四川大地震やチベット騒乱でのぞかせた「巨竜」の脆弱(ぜいじゃく)性を考えると、これまでの勢いで今後も疾走し続けるとは思えない。
 09年のアジアは世界経済の減速という試練の中で、地球入口の4割を占める二つの大国が、社会の安定を保ちつつ、なお前進をはかれるかが一つの焦点だろう。

(朝日新聞 2009-1-6)



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