チェルノブイリに学べ





 広大な土地が汚染されたチェルノブイリでは予想外のことがいくつも起きた。
 放射性物質の粒子は雨とともに地中に沈み、地下水で広く移動すると思われていた。地下水の流れを止めるよう地中に壁もつくられた。しかし、粒子は地中に沈まず、地表から動かなかった。

 2006年、ウクライナ環境生態研究所でこう聞いた。「ある地点。1999年の測定ではセシウムの97%が表面から深さ15センチまでにあり、05年にも97%が残っていた」。ストロンチウムは少し潜って深さ25センチまでに90%があり、比較的水で移動しやすいそうだ。
 セシウムが地表にとどまる理由のひとつは、植物の根が放射性粒子を吸い込むことだ。粒子は葉や茎にたまり、冬には枯れて表面に落ちるので、表面にとどまり、地表近くを循環しているとみられる。

 一方で、植物ごとに粒子の吸収力を調べる実験も行われた。ある肥料をまくと、植物への吸収が減ることもわかり、汚染が少ない作物の栽培に実用化されたという。
 現地ではナタネも栽培された。「放射性粒子を多く吸わせて除染する」というより、「バイオ燃料という商品ができるから」が強い理由だったようだ。

 福島では、土地をよみがえらせるために積極的な作業が考えられている。表土を削ることも有効だろう。日本の経済力ではある程度可能だ。ただ、放射性粒子の挙動は複雑で、一筋縄ではいかないはずだ。
 チェルノブイリでも土壌汚染を全面解決できる策は見つかっていない。ただ、彼らの失敗や試行錯誤から学ぶことは少なくない。チェルノブイリ事故の翌年、当時のソ連から医療調査団が来日した。被爆者治療の教えを請うためだ。日本側が提供したのは、広島と長崎が「もう世界が二度と必要とすることはない」と思いながら蓄積した被爆者データだった。

 25年後の今は日本が学ぶ番だ。大地の汚染の知識はチェルノブイリにある。

(朝日新聞 2011-7-10)



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