下山の思想 五木 寛之〈著〉(幻冬舎新書)



 行き過ぎた消脅社会の反省や経済成長の不要を主張する本は多い。このご時世、この主張は支持されやすいだろう。題名で本書を手にした読者も、それを期待しているかも知れない。確かに経済成長とは違う社会の在り方も説かれてはいるが、全体を通して語られるのは別のことだ。
 例えば、少年の凶悪犯罪は増えていると思われている。だが、現実には、少年の犯罪数は以前より減少している。統計からわかる事実である。だが、そのバイアスを著者は問う。「統計から見える事実」の方ばかりを信じ過ぎる社会になっているのではないかと。 

 例えば、著者はトンデモ本に興味を持つ。トンデモ本とは、9・11同時多発テロは米政府が仕組んだ自作自演だとか、世界は少数のユダヤ人によって操られているだとか、根拠のない陰謀論が書かれた刊行物のこと。だが著者は「論拠に疑問があっても、なにかしら時代の底にわだかまる不安を映しだしている」という読み方をするのだ。

 本書は、統計や資料が重視される現代が見落とす「国民大衆の実感」を見直そうという趣旨のものである。さて、それがどう「下山の思想」と関わるのか?
 例えば、日本は財政赤字という問題を抱えている。このままでは破綻し、スーパーインフレがやってくるという専門家がいる一方、日本の国債は国内で賄われているのだから問題ない、むしろもっと発行すべきだという論もある。専門家でも、明確な解答は持てない。現代は、そんな問題であふれている。

 筆者はとりあえず、どちらにもまゆにつばをつける。実感で判断する。「こうすべし!」と山頂を設定するのではなく、転ばないように下りる道を探す。山頂はひとつだが、下山道はたくきんある。これが「下山の思想」流の解決法なのだ。

 速水健朗(フリーライター)

(朝日新聞 2012-1-22)



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