河原ノ者・非人・秀吉 服部 英雄〈著〉(山川出版社)



 あまりにも生々しく、時に本を閉じた。歴史の専門書を読んでそういう気持ちになることはほとんど無い。そこに本書の方法的な特徴がある。極めて具体的かつ詳細で、小説を読むような臨場感がある、が、単に面白いというだけでなく、歴史記述の独特な方法が浮かび上がって来る。

 たとえば大追物。本書はこの行事に関わった「人間」に迫る。河原ノ者が登場人物だ。彼らは犬を捕獲し、犬の馬場では犬一匹に河原ノ者一人がついた。犬を縄の中に誘導する。首縄を瞬時に鎌で切る。犬の前を走る。侍が犬を射る。傷ついた犬を処分する。処分された犬を、侍たちも食べた。

 現代人が目をおおいたくなる歴史的事実はあふれるほどあるが、それに目を背け都合良い事実だけで「日本人は」と語ってはならないだろう。戦時中のことでは論争になる。しかし古代や中世になると、触れないようにしてきた。だが、それが日本人の紛れもない歴史なのである。

 学問は、証拠を並べて真実を証明する競争の場になっている。しかし、それでは浮かび上がって来ないことがある。そのひとつが本書のテーマである被差別民の世界だ。たとえばサンカはいたかいなかったか。言葉に固執すると主張が対立する。本書では無数の呼び名が囲むその中に、社会を流浪する無籍の人々の集団が立ち現れる。

 秀吉の出自は何か。これも被差別民という説と農民という説があるが、それは単なる概念だ。秀吉がまるで猿のように栗を食ったという記録から、それが乞食として生きていた時の大道芸ではなかったかと著者は推測する。秀吉が身体をもった一人の人間として迫ってくる。本書では、被差別民が多くの分野での職人として社会を支えてきたことが見えて来る。ヨーロッパ人宣教師を始めとする当時の人々の記録を重要視することで、見事に人間を浮かび上がらせた。

 田中優子(法政大学教授)

(朝日新聞 2012-7-1)



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