伊勢神宮の式年遷宮



  

■式年遷宮
 伊勢神宮(いせじんぐう、三重県伊勢市)は今年、正殿を20年ごとに建て替える「式年遷宮(しきねんせんぐう)」を迎え、神体(しんたい)を移す「遷御(せんぎょ)の儀」が10月上旬にありました。この祭事は1300年以上も続くと言われます。新しい正殿を見ようと、国内外から観光客や参拝者が訪れています。どんな祭事なのでしょう。

■新正殿を建て、神体を移す
 式年遷宮は飛鳥時代、持統天皇(じとうてんのう)が在位中の690年に始まったとされる。武士の世に120年以上途絶え、第2次世界大戦の敗戦で4年延期にもなったが、今回が62回目。
 天皇陛下に代わって祭事をつかさどる祭主は、昭和天皇の四女の池田厚子さん。補佐役として今の天皇の長女、黒田清子(くろださやこ)さんが臨時祭主を務めた。

 中心となる行事は神様の引っ越しだ。神体を祀っている正殿の隣に、20年ごとに同じ様式の新正殿を建て、神体を納める。この「遷御の儀」は内宮で今月2日、外宮で5日にあった。
 両日とも、夜の午後8時に始まった。神職ら百数十人は列をつくり、たいまつと提灯(ちょうちん)の明かりを頼りに約30〜40分かけて神体を新しい建物へ。今回は東側から西側に神様が移った。

 神宝(しんぽう)など1576点も、新しくして納める。周辺にある14の別宮(べつぐう)の社殿や鳥居なども造り替える。
 定期的に造り替えるのは、常にみずみずしさを尊ぶ神道の「常若(とこわか)」という考えから、とされる。「式年」とは「定められた年」という意味だ。なぜ「20年」か、については、技術の継承が可能な期間という説や、穀物が貯蔵できる年数といった説があるが、定かではない。

 新しい建物などの造営には約1万2千本のヒノキが必要だ。今回の遷宮の費用は約570億円。前回(1993年)の約1.7倍に膨らんだ。昔は税や寄進に頼ったが、明治期から国が運営。戦後は、宗教法人になった伊勢神宮が、自己資金と全国からの寄付金で賄(まかな)っている。
 遷宮の一連の行事は30以上あり、遷御の儀がある8年前から始まる。今回の遷宮では、2005年5月にあった「山口祭(やまぐちさい)」。ヒノキの切り出しの無事を祈る祭事だ。

 造営に使うヒノキを神宮の敷地内に引き入れる「お木曳(きひき)行事」や、新正殿の敷地に、こぶし大の白い石を奉献(ほうけん)する「お白石持(しらいしもち)行事」など市民らが参加する行事もあって、市内は期間中、遷宮一色に染まった。

■参拝者、過去最多に
 伊勢神宮は、皇室の祖先としての神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る内宮と、食物や産業などをつかさどる豊受大神(とようけのおおみかみ)を祀る外宮、さらに志摩半島(しまはんとう)を中心に点在する別宮、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を合わせた計125の神社の総称だ。正式名称は「神宮(じんぐう)」。

 「日本書紀」では、2千年ほど前、天照大神を祀る土地を皇女(こうじょ)・倭姫命(やまとひめのみこと)が探し求め、伊賀(いが)や近江(おうみ)、美濃(みの)をめぐり、伊勢にたどり着いた、とされる。豊受大神はその約500年後、丹波の国から移された。

 江戸時代には、庶民ら数百万人が伊勢神宮に参拝に押し寄せる「おかげ参り」が、ほぼ60年ごとに起きた。江戸後期には弥次さん、喜多さんが江戸から伊勢をめざす、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本(こっけいぼん)「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」がブームになった。

 近年、伊勢神宮を国内有数の観光地に押し上げたのは、前回の遷宮があった1993年に完成した「おかげ横丁」の影響が大きい。「赤福餅」で知られる地元の老舗「赤福」(三重県伊勢市)が約140億円を投じ、江戸〜明治の伊勢の伝統的な建物を移築。昔の町並みを再現した。内宮周辺は飲食や買い物などが楽しめる観光スポットになり、外宮の参拝者数との開きが大きくなっている。

 内宮と外宮を合わせた参拝者数は今年、過去最多だった2010年を超え、10月12日に1千万人を突破。今後も新正殿には大勢の参拝者が訪れると見込まれ、伊勢市は1330万人を超えると予想している。(保坂知晃)

(朝日ジュニア 2013-10-26)



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