黒魔術今も……インドネシア



■呪い? 体内から釘や針28本
 インドネシアでは、憎い相手に呪いをかける「黒魔術」が広く信じられている。その一方、魔女狩りのように呪術師がリンチを受ける事件も多く、警察は頭を抱える。摩詞不思議な黒魔術を刑法で裁くため、現行法を改正する動きもある。
 首都ジャカルタで昨年6月、中年男性6人が重度のやけどを負い、うち1人が死亡する事件が起きた。地球から見て金星が太陽の前を横切る「太陽面通過」の日だった。いずれも強い酸をかけられており、周辺住民は「悪魔術の儀式だった」と証言した。

 中部スラウェシ島では一昨年、3歳の女児の足と背中から長さ10cmの釘や注射針が28本党つかり、摘出された。女児は一命を取り留めたが、「悪魔術による呪いだ」と、全国的なニュースになった。担当医は「半年ほどかけて体内に入ったようだ」と首をひねった。
 多くの国民がその存在を信じる黒魔術。9割近い信者がいるイスラム教の教えに背く行為とされているが、いまだに呪術師は民間治療やもめごと解決の窓口的存在になっている。人目を避けて営業し、顧客も夜間にこっそり訪れて依頼することが多い。

 ジャカルタ警察のリクワント報道官は「呪術師と被害者の関係を示す物証がなければ、病気扱いになる。黒魔術を裁く刑法がない以上、打つ手がない」と話す。
 警察の会合に呪術師を招き、健康な男性の腹部をその揚で異常にふくらませてもらったこともあるという。「医学的な証明はできなかった。呪術師に使われた霊が自首でもして来ない限り、逮捕しようがない」

 呪術師を狙った事件も相次ぐ。北西部アチェ州のグドングドン村で2月、民家が全焼した。地元警察によると、家主は祈祷師で病気治療などをしていた。ある村人が突然、激しく暴れ出したため、隣人らが「黒魔術をかけた」と怒って放火したのだという。
 呪術師が住民らの恨みを買い、リンチに遭う事件が全国で年間数百件は起きているとみられる。同報道官は「危害を加えたはずの呪術師がリンチを受けた場合、目撃者も物証もある。黒魔術をかけられた本来の被害者の方が逮捕されてしまうのは皮肉だ」と真顔で話した。

 少数だが、黒魔術を「ばかばかしい」と突き放す人もいる。法学者で国家法律委員会のサヘタピ委員長(81)は「私はキリスト教徒だが、呪術など一度も信じたことはない」と言い切る。逆恨みによる殺人が相次ぐ状況を「中世ヨーロッパの魔女狩りのような行為がまかり通っているのは恥ずべきことだ」と嘆いた。

■存在認め、厳罰化の動き
 刑法改正の陣頭指揮を執っているのは、法相や国家官房長官を歴任したムラディ氏(69)だ。26人からなる国家刑法案委員会の4代目議長を務めている。黒魔術の存在を認めたうえで、犯罪に使われないようにすることが目的だ。
 改正案で「黒魔術」を禁じるのは第293条だ。超能力によって殺したり、病気にさせたりする行為には、最高で禁鋼5年か、額は未定だが最高レベルの罰金を払うよう規定されている。

 現行の刑法にも、魔力があると公言したり、法廷にお守りを持ち込む行為などを禁じる条項がある。だが、いずれも数十円の罰金ですむうえ、適用された記録はないという。
 ムラディ氏は「警察ですら、捜査に行き詰まると呪術師のところへ行く。黒魔術はイスラム教が伝わる前からあり、完全に排除することはできない。黒魔術をさせず、かつ無実の呪術師を逆恨みから守るのが改正刑法だ」と力説した。

 法律があれば、捜査も進む。麻薬がらみの事件などで認められているおとり捜査をし、警察官が顧客を装って呪術師と接触することも可能だという。ムラディ氏は、ある有名な黒魔術師の名前を挙げ、「自分の名刺に、しゃあしゃあと『黒魔術できます』などと書いている。法律が成立したら、こいつを最初に逮捕してやる」と意気込む。

 イスラム系政党の議員らはおおむね、法案支持の立場だという。だが、世俗系政党の中には「時代錯誤だ」と反対する声も。国会議員には呪術師の常連も多く、水面下での反発もあり得る。

■人気の霊呼ぶと、謝礼は2900万円
 多くの呪術師が取材を拒むなか、西ジャワ州バンドンに住むキ・バグス・サンタンさん(39)が応じた。
……呪術師になるには。
 「22歳のころ、先生に付いて修行した。水だけで最低21日間、断食する。霊を操るために必要な力は、厳しい環境下で生まれるから。ほとんどの人は数日で脱落する」

……顧客はどんな人か。
 「駆け出しのころは地元警察に協力していた。殺人事件が起きると、警察に連れられて現場へ行く。遺体を前に霊を呼び出し、犯人の人相や状況を聞く。警察で容疑者が犯行を認めないため、目の前に被害者の霊を呼び出したこともある。観念して認めると、供述調書には『自供した』とだけ書かれた」

……謝礼はいくらか。
 「政治家には選挙に勝つための霊を付ける。当選したい、政敵を落としたい人がカネで霊を買うのだ。国会議員選挙なら最低7億5千万ルピア(約730万円)もらって霊を付ける。人気の霊の相場は30億ルピア(約2900万円)。霊は階級社会で、より強く高額な霊が勝つ。私は最高級だけで28の霊を操る」

……謝礼の使い道は。
 「ほとんどはモスク(イスラム教の礼拝所)やイスラム寄宿学校へ寄付するのが暗黙の了解になっている。みな黒魔術を信じているが、社会的にはタブーの存在だ。私は殺人の依頼は受けないし、この世で一番強い霊は神だと信じている。来年の総選挙と大統領選の後、40歳で呪術師を辞めてメッカ巡礼に行きたい」

■国会へ提出された刑法改正案
・ある者が超能力を持っていると他者へ伝えて希望を与え、その行為により他者を死なせたり、精神的または物理的に病にしたりした者は最高禁錮5年、または最高で第4種(最高レベル)の罰金
・その行為を日常的に行ったり、営利目的や職業としたりした場合、さらに罰則を3分の1加算できる    (第293条から抜粋〕

(朝日新聞 2013-3-14)



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