アートは世界を動かす力を秘めている スプツニ子



日本の若者や社会をどう見ていますか。
 議論が苦手で、何が正しくて、何が正しくないかを自分で判断する力が不足しているように感じます。それは日本の学校が「正しいこと」を先生から一方的に教わる学習スタイルだから。私が通ったアメリカンスクールでは、個人の考えとは関係なく、主張を入れ替えながらディベートしました。根拠を考えて主張をぶつけ合うことで「何が正しいか」を考える力をつけることができたのです。

 優等生ばかりが中枢に集まるシステムも問題ですね。失敗のリスクを恐れるあまり、誰も大きな間違いをしない。結果、イノベーション(革新)が生まれにくくなって組織自体の首を絞めかねません。

リケジョ(理系女子)がアートの世界に飛び込みました。
 大学で数学を学び音楽のライブ活動をしてたけど、デザインの知識や技術も不足していた私が、もし日本の美大を受験しても落ちていたと思う。私を受け入れた英国王立芸術学院大学院には「グリエーティブは異分子に活性化されてイノベーションを生む」という考え方があったのです。「歌うリケジョ枠」で進学できました。

創作のキーワードの一つとして「ドラデイカル・デザイン」を提唱されていますね。
 アートやデザインって、見た目が美しいとか、便利で使いやすいといった機能性や実用性を求める風潮が強い。でも、デザインには、問題を提案して議論を活性化させるきっかけにする分野があります。「クリティカル・デザイン」(社会批評的デザイン)です。例えば、私がデザインした「菜の花ヒール」。菜の花には土壌のセシウムやストロンチウムなどの放射性物質を吸収する働きがあるとされています。

 そこで、歩くと、靴の先端から菜の花のタネがまかれ、歩いた先から菜の花が咲いていくというハイヒールを考案しました。東日本大震災からの復興を議論する上で一つのシンボルになり得るのではないかと。
 そうした考えをソーシャルメディアを使ってポピュラーに広め、復興の議論を深められないかと思い、たどり着いたのが「ドラえもん」でした。「ドラえもん」が、4次元ポケットから出すひみつ道具は「文明とは何か」ということを考えさせるという意味で、まさにクリティカル・デザインです。

 思い付いたのが「ドラえもん」と1970年代にイタリアで発生した社会批評デザイン運動のラディカル・デザインを合わせた造語「ドラデイカル・デザイン」でした。
 クリティカル・デザインがより身近になれば、人の発想が変わり、そこから生まれる世界も変わる。アートは世界を動かす力を秘めているのです。

(朝日新聞 2014-1-4)



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