朝日新聞、終わりの始まり  渡部昇一(上智大学名誉教授)



朝日、ついに「降参」
 8月5日、朝日新聞がついに「降参」しました。この日は、戦後ジャーナリズムにとって極めて大きな記念すべき日であると言っていいでしょう。
 ただし、朝日新聞は「吉田証言が嘘であること」「女子挺身隊は慰安婦ではなかったこと」は認めたものの、それ以外の点については、2日間にわたって役にも立たない言い訳を展開しました。

 藤岡信勝さんはこのような朝日の態度を「白旗を揚げながら進軍している」と評しましたが、全くそのとおりで、朝日新聞は天下に恥を晒したと言っていいでしょう。
 驚くのは、あれだけの弁解をしながら一切、謝罪をしなかったことです。日本人ならまずは謝る。しかし、それができないのはどういうわけでしょうか。支那や朝鮮では「罪を認めて謝罪した以上、何をされても仕方がない」という価値観がありますから、朝日新聞は日本人的でない、「中韓的なるもの」によってその中核が動かされているのではないかと勘繰ってしまいます。

 朝日が「降参」したと言っても、まだ朝日新聞を購読し続ける人もいることでしょうが、現在の朝日新聞社幹部が「総辞職」しない限り、「朝日新聞は中韓的発想を持つ人が書いている」可能性を念頭に置いて記事を読む必要があります。

 朝日新聞のなかには立派な記者もたくさんいたとは思いますが、吉田清治証言の撤回まで32年かかり、「挺身隊と慰安婦の混同」といった誰にでもすぐ分かるような意図的なミスリードを撤回してこなかったのが実情です。それこそ、中韓的な「日本を徹底的に貶めたい」と考える強力な中心勢力があるとしか思えない。

 朝日新聞は捏造を否定しているようですが、明らかに確信犯であり、それが著しく日本を貶めてきたことは否定しようもないことです。しかも嘘に嘘を重ねてきたことで、慰安婦間題は日韓問題ではなく、世界的な問題に拡大してしまいました。しかし、朝日新聞は「最初から分かっていてやった」のです。

 このような新聞を存続させていいのでしょうか。「言論弾圧」との反論もあるかもしれませんが、少なくとも慰安婦問題において「国際的な日本の名誉棄損活動」を展開した朝日新聞の責任者は、すぐにでも職を辞すべきでしょう。退職金と年金を朝日新聞からもらうことには私は反対しませんから。

産経新聞の大金星
 朝日の今回の「降参」は、産経新聞の大変大きな功績です。朝日新聞は最後まで抵抗しましたが、産経新聞は実に入念に、ジャーナリズムの本分を発揮して真実を掘り起こしたのです。
 「新聞社同士の喧嘩で正義を貫いた産経新聞が勝った」のであり、虚報をここまで引っ張った朝日新聞と、事実によって朝日新聞を追い詰めた産経新聞の威信は逆転したと言ってもいいのではないでしょうか。

 2014年1月1日には、河野談話に原案段階から韓国の意向が働いていたことをスクープ。政府による河野談話の撤回にまでは至らなかったものの、河野談話発表までの経緯を再調査し、結果を公表するまでに至ったのです。
 産経新聞で連日、慰安婦問題に関する事実が報じられることで、国内の関心が高まるとともに、朝日新聞に対する批判も強まりました。

 海外在住の日本人が、慰安婦問題によってどのような心理的苦痛を受けているかも産経新聞で逐一報じられたことで、一般の国民までが日本人として素直に「本当のところはどうなのか」を知りたくなってきた。それは朝日の読者も例外ではなかったと思います。
 かつて、朝日新聞は左翼文化人やインテリが読み、世界第2位の部数を誇るクオリティペーパーで、一方の産経新聞はずいぶん下に見られていた時代がありました。しかし、いまや立場は完全に逆転しました。日本のクオリティペーパーは産経新聞だというべきでしょう。

朝日新聞の「前科」
 戦後ジャーナリズムにおいては、昭和20年代からしばらくの問、新聞社同士は喧嘩をしないという不文律があり、たとえばある新聞社の記者が交通事故を起こしても他の新聞社は報じない、論調が違っても相手の新聞を名指しして反論することはしない、というような暗黙の了解があったのです。

 しかし、その暗黙の了解を最初に破ったのは、私の記憶では産経新聞でした。1984年10月31日、朝日新聞は〈これが毒ガス作戦〉という大きな見出しで、濛々と湧き上がる煙の写真を次のような記事とともに掲載しました。

 〈当時、中国戦線の第101師団に所属していた神奈川県在住の元将校Aさん(70)がこのほど、朝日新聞社に「私は毒ガス攻撃の現場にいた」と当時の撮影写真を提供した。「これまでだれにも見せられなかったが、最近、当時の日本軍の行為を正当化するような動きがあり、憤りを感じたため、公表することを思い立った」とAさんは語っている〉

 ところが、これに産経新聞が反論。1984年11月11日の紙面で「煙幕だったのではないか」と疑義を呈し、朝日記事に該当する作戦時に毒ガスが使われた記録がないことなどを掲載したのです。
 その時の朝日新聞の反応は、まさに殴り込みの様相を呈したそうです。詳しくは元産経新聞記者の高山正之さんが書かれていますが、朝日新聞の学芸部長が産経新聞にやって来て、「天下の朝日に喧嘩を売るとはいい度胸だ。謝罪して訂正記事を載せないと、産経新聞なんか叩き潰してやる」と怒鳴ったといいます。

 産経も慌てて別室で対応したとのことですが、朝日が脅そうと、事実を掴んでいた産経の勝ちでした。
 産経はさらに追い打ちとなる記事を、11月13日に掲載しました。煙は毒ガスなどではなく、昭和14年9月23日に行われた戦闘中、「対岸の敵に猛射を浴びせる第6師団の砲撃」の煙であることを指摘したのです。
 さすがの朝日もこれには参ったのか、翌11月14日に次のような記事を掲載しています。

 〈朝日新聞社のその後の調べで、この写真は、元将校Aさんの記憶する南昌作戦ではなく、同じ昭和14年の9月、日本軍の籟湘作戦の際に中国・新藷河付近で、大阪毎日新聞社カメラマン山上円太郎氏(故人)が撮影したものであることが分かった。(中略)
 これについて、写真を提供したAさんは、「南昌攻略の際の修水渡河作戦で私が目撃した毒ガス作戦の光景と写真帳の写真はあまりにもよく似ていた。しかし、写真が別の場所で撮影されたとわかった以上、私の記憶違いだったと思う」といっている〉

 日本を貶めるためには、情報の裏すら取らない朝日の体質がよくわかります。しかも産経からの指摘を受けて事実が判明したのに、「朝日新聞のその後の調べ」によって分かったと書いたうえ、誤報にもかかわらず一言の謝罪もありませんでした。
 あれから30年あまりが経ち、横綱と小結だった朝日と産経の関係に変化が出ても、朝日新聞にはそのことが未だに分からなかったのでしょう。

卑怯な論点逸らし
 朝日新聞は今回の慰安婦報道検証記事で、〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉と書いています。
 しかし、朝日新聞がことさら書いてきた「従軍慰安婦」問題の根本は強制連行の有無でした。吉田清治の言う「拉致」に相当する行為があり、植村隆記者の書いた「挺身隊の名で連行した」ことをもって、朝日新聞は「従軍慰安婦問題」を大きく取り上げてきたのです。

 そもそも言葉にこだわる新聞記者が、「従軍慰安婦」という言葉を使うこと自体がおかしい。「従軍」とは厳密には「軍属」を意味します。「軍属」の売春婦がいるわけがない。
 いつの間にか朝日新聞はこの「従軍慰安婦」という言葉を使わなくなっていますが、実に卑怯なやり口です。分が悪くなると分からないうちに逃げたり、論点を逸らす「悪魔の知恵」と言ってもいいでしょう。

 朝日新聞は「報じた当時は研究がまだ進んでいなかった」などと言っていますが、これらの真偽を確かめるのは実に簡単なことでした。
 当時、占領地に慰安婦がおり、売春業が営まれたことは日本のみならず世界の常識でした。そもそも占領地まで出かけて行ったのは朝鮮人売春婦だけでなく、日本人女性のほうが圧倒的に多かったのです。 吉田証言について朝日新聞はいまになって済州島へ出かけていって聞き取り調査をしたようですが、なぜ当時、裏を取らなかったのか。いまさら聞きに行ったところで、これでは新聞ではなく「旧聞」です。

政治的意思による誤報
 吉田清治は済州島で200人あまりの女性を「強制連行」したと言っていますが、それだけの女性が無理やり連れ去られるのを、あの朝鮮人たちが黙って見ているはずがありません。
 1989年の時点で地元の済州新聞社が調査したところ、「そんな事実はなかった」との証言があり、その後、秦郁彦さんも92年に現地調査に入りましたが、むしろ済州新聞の記者から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」とまで言われだそうです。

 朝日新聞にとっては見たくもない事実かもしれませんが、その頃の朝鮮は実に平穏でした。朝鮮の中学生は修学旅行で伊勢神宮に参拝するほどであり、巡査等の多くも朝鮮人が自ら就いていました。
 併合当初はたしかに小競り合いもありましたが、済州島に限らず、昭和10年代の朝鮮半島は実に平穏な状況だったのです。

 朝日新聞が会社ぐるみで日本を貶める虚報を流すことにより、NHKや岩波書店も安心してそれに追従してきました。その最たるものが歴史教科書誤報事件です。1982年6月26日、マスコミ各社が「文部省が歴史教科書の記述を検定によって『(中国華北に対する)「侵略」から「進出」へと改めさせた』」と報じました。

 しかしこれは実際には誤報で、文部省も「検定項目に進出か、侵略か、の審査はない」などとして否定していました。
 私は当時、この問題をかなり詳細に追っていた世界日報を読んでいたこともあり、『諸君!』(1982年10月号)に「萬犬虚に吼えた教科書問題」と題する検証記事を書きました。竹村健一氏が自身のテレビにも私を出演させてくれたことで、さすがにテレビの反響は大きく、教科書書き換え問題は大騒動となったのです。

 私は『諸君!』に朝日新聞に対する公開質問状を出しましたが、梨の礫でとうとう答えず、朝日新聞は8月に入っても明確な撤回、訂正を出しませんでした。
 恐るべきことに、この時、「中国韓国など近隣諸国の批判に耳を傾ける」との宮澤喜一官房長官談話が発表されています。

 その後、9月7日に産経新聞は一面で「誤報でした」との記事を出し、徹底的な検証記事を掲載しました。さすがに新聞の影響は大きかったのか、報道後から大騒ぎしていた北京もすっかり黙ってしまった。韓国は中国以上の反撥を見せていましたが、中国が引っ込めたのを見て自分たちも抗議をやめました。
 しかし鈴木善幸内閣による訪中が行われ、教科書の記載は近隣諸国に配慮するという旨の「近隣諸国条項」が生まれてしまったのです。

過去にも「長々と弁解」を
 朝日新聞がこの誤報について検証したのは、9月19日でした。「読者と朝日新聞」と題する文章では、東京本社社会部長の中川昌三という人が、読者からの「誤報ではないのですか。真相を聞かせてください」との質問に答えています。
 その中身は、今回の慰安婦報道の「役にも立たない弁解」に匹敵するものですので、少々長くなりますが引用します。

 〈来年度から使用される高校、小学校の教科書の検定結果が6月26日付朝刊で各社一斉に取り上げられ、朝日新聞でも一面と社会面で報道しました。(中略)
 新聞、放送各社ともこの個所についてはほぼ同様の報道をしましたが、7月26日になって、中国が「日本軍国主義が中国を侵略した歴史の事実について改ざんが行われている」として抗議、続いて韓国も抗議し、外交問題となりました。

 朝日新聞は、日中、日韓関係の歴史記述について再度点検したところ、今回の検定教科書で日中戦争に限定すると「侵略→進出」と書き換えさせたケースはなかったらしい、との懸念が生じました。(中略)
 一部にせよ、誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければなりません〉

 そうして、なぜ誤りが起こったかを縷々説明したあと、朝日はこう続けます。

 〈以上が誤りを生んだ経緯と背景です。ところで、ここで考えてみたいのは、中国・韓国との間で外交問題にまで発展したのは、この誤報だけが理由なのか、という点です。抗議の中で中国側が例にあげたのは、「侵略→進出」だけではなく、「満州事変」や「南京虐殺」などの記述もありました。韓国の政府や民間団体が抗議したのは「3・1独立運動」や「強制連行」など数多くの記述についてでした。

 つまり、ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか。だからこそ日本政府は今回検定の日中戦争関係で「侵略→進出」の書き改めがなかったことを十分知りながら、検定基準の変更を約束せざるを得なかったのだと思われるのです。
 文部省が検定作業を通じて「侵略」を「進出」「侵入」「侵攻」「侵出」などに書き換えさせてきたのは、数多くの資料や証言から証明できます。侵略ということばを出来る限り教科書から消していこう、というのが昭和30年頃からの文部省の一貫した姿勢だったといってよいでしょう。

 そうした検定の流れは、いま社会面の連載「検証・教科書検定」でも、改めて明らかにしつつあるところです。
 日本が韓国・朝鮮を併合したり、中国へ攻め込んだりした事実をどう見るかは、歴史観の違いによって意見が分かれる場合もありましょう。しかし、あった事実は事実として、認める態度が必要だと思います。教科書は次代の国民を育てる大切なものです。私どもは今年も厳正な立場で教科書問題の報道にあたりたいと考えます〉

 30年経ったいまも、朝日新聞の体質は全く変わっていないと言っていいでしょう。

捏造は会社ぐるみ
 朝日新聞は慰安婦問題の論争が展開されるなか、「強制連行」の部分について分が悪くなってくると「強制には広義の強制と狭義の強制がある」などと言い出しました。しかし問題なのは「拉致まがいの強制連行」であり、広義の強制などは問題ではありません。
 今も昔も、売春婦は一定の強制のもとにあります。しかも、占領地で現地の女性に問題を起こさないように慰安所を公認することも、何ら問題はありませんでした。

 朝日新聞の記者ともあろう人たちが、この程度のことを知らない、理解できないはずはない。ましてや「故意でなく挺身隊と慰安婦を混同してしまった」はずがないのです。
 大正時代に朝日新聞記者だった杉村楚人冠が書いた『最近新聞学』という名著があります。私は1973年7月号の『諸君!』にこの本(復刊)の書評を書き、それが巻頭論文として掲載されました(「新聞の向上?」)。これが私の論壇デビューとなったのですが、そこには次のようなことが書いてありました。

 「馬鹿な話が新聞に出てくるためには、会社ぐるみで腐っていなければそんなことにはならない。下っ端がおかしな話を持って来ても、デスクが目を光らせれば掲載されない。だから馬鹿な記事が載ってしまうのは、会社ぐるみでなければありえない」

朝日は天下の恥晒し
 それでも朝日新聞に一片の良心があるのなら、主要幹部は全員辞職し、二度と大きな顔で日本国民の前に出るべきではない。静かに、日本国民の目の触れないところで暮らすべきでしょう。

 ようやく今回、朝日新聞が自らの非を認めたことで、少なくとも日本人は慰安婦に対する「強制連行はあった」「挺身隊の名で慰安婦にした」という言説を使えなくなります。日本国内から矢が飛んでこなければ、外務省も総理も、強気で真実を訴えることができるようになる。日韓関係にも大きく影響するのではないでしょうか。

 「天下に恥を晒した」今回の慰安婦検証記事が近い将来、「あれで朝日が倒れた」と言われる日が来るかもしれません。慰安婦問題は朝日新聞の終わりの始まりかもしれない……そんな思いです。

渡部昇一(わたなべ しょういち) 上智大学名誉教授。英語学者。文明批評家。

(月刊ウイル 2014-10)



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