訂正、遅きに失したのでは  池上 彰



 過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか。
 朝日新聞は、8月5日付と6日付朝刊で、「慰安婦間題を考える」と題し、自社の過去の慰安婦報道を検証しました。これを読んだ私の感想が、冒頭のものです。

 6日付紙面で、現代史家の秦郁彦氏は、朝日の検証について、「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」と書いています。これは、その通りですね。
 しかし、今頃やっと、という思いが拭い切れません。今回の検証で「虚偽」と判断した人物の証言を掲載してから32年も経つからです。

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 今回、「虚偽」と判断したのは、吉田清治氏の証言。氏が自らの体験として、済州島で200人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」などと証書したと朝日新聞大阪本社版朝刊が1982年9月2日に報じました。その後も朝日は吉田氏に関する記事を掲載しました。

 これについて今回、「読者のみなさまへ」と題し、「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」と書いています。裏付けできなければ取り消す。当然の判断です。

 ところが、この証言に疑問が出たのは、22年前のことでした。92年、産経新聞が、吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。
 こういう記事が出たら、裏付け取材をするのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が「吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と検証記事は書きます。この時点で、証言の信憑性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。

 検証記事は、「慰安婦」と「挺身隊」との混同についても書いています。「女子挺身勝」は、戦時下で女性を労働力として動員するためのもの。慰安婦とは別物です。91年の朝日新聞記事は、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じたものだと認めました。
 これについて「読者のみなさまへ」というコーナーでは「当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と書いています。

 ところが、検証記事の本文では「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時慮で混同に気づいていたということです。その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません。
 今回の検証特集では、他紙の報道についても触れ、吉田氏の証言は他紙も報じた、挺身隊と慰安婦の混同は他紙もしていたと書いています。問題は朝日の報道の過ちです。他社を引き合いに出すのは潔くありません。

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 今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫ぴがなければ、試みは台無しです。
 朝日の記事が間違っていたからといって、「慰安婦」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。

 でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか。

池上さんと読者の皆様へ
 今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわぴします。

池上さんのコメント
 私はいま、「過ちては改むるに揮ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。

(朝日新聞 2014-9-4)



一連の問題をめぐる経緯

 朝日新聞は過去の自社の慰安婦報道を点検し、吉田清治氏(故人)の慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だったと判断しました。8月5日朝刊1面に杉浦信之・編集担当(当時〕の「裏付け取材が不十分だった点は反省します」と釈明する論文を載せ、特集記事「慰安婦間題を考える」の中で、関係する16本の記事を取り消しました。

 ジャーナリスト、池上彰さんは8月29日朝刊に掲載予定のコラム「新聞ななめ読み」でこの問題を取り上げました。朝日新聞社は一時掲載を見合わせましたが、9月4日の紙面で、読者や池上さんへのおわび記事とあわせて「慰安婦報道検証/訂正、遅きに失したのでは」の見出しでコラムを載せました。

 朝日新聞は政府が非公開としていた「吉田調書」を入手し、5月20日朝刊で「東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」と報じました。しかし、吉田所長の発言を聞いていない所員もいて、「命令に違反し撤退」は誤りでした。9月11日、木村伊量社長が記者会見を開いて記事を取り消し、読者と東京電力関係者に謝罪しました。吉田清治氏の関連記事の取り消しが遅きに失したことについても謝罪しました。

 今後、慰安婦報道は有識者による第三者委員会で、「吉田調書」報道は報道と人権委員会(PRC)でそれぞれ検証を進めていきます。

(朝日新聞 2014-9-26)



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