「南京大虐殺」が世界記憶遺産登録



 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に「南京大虐殺」が登録されました。かねてから両国間で見解に相違があった中で、中国側が申請し、ユネスコが登録を決定したものです。日本政府は中国政府に抗議し、ユネスコにも制度改善を求める談話を発表しました。また菅義偉官房長官は、ユネスコへの分担金・拠出金の支払い停止にも言及しました。日中間にはどのような立場の相違があり、日本は今後この問題にどのように対応していくべきなのか。元外交官の美根慶樹氏に寄稿してもらいました。

■「名称」から「犠牲者数」まで見解に相違
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月10日、旧日本軍による「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産に登録したと発表しました。
 世界記憶遺産とは危機に瀕した古文書や書物などの歴史的記録物をデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とするものです。いわゆる「世界遺産」とは別物で、「アンネの日記」やフランスの「人権宣言」などが登録されています。

 「南京大虐殺」についてはかねてから日中間でも、また日本国内でも論争があり、その事件をどう表示するか、つまり、そもそものネーミングについても意見が分かれていました。鍵カッコつきの「南京大虐殺」は外務省で採用している表示方法です(同省「歴史問題Q&A」 平成27年9月18日)。

 両政府間の最大の相違点は「南京大虐殺」の犠牲者数にあり、中国政府は「30万人以上」としています。これは1946年に中華民国政府によって開かれた南京軍事法廷の判決に示された数字であり、中国政府はそれを援用しています。
 一方、日本政府は「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としています(前記Q&A)。

 日中双方の研究家の中には、数万人あるいは具体的な数字をあげる人も居ます。日本政府は、一般市民の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、その具体的な数字を確定することは困難なので、中国政府の主張を認めることのみならず、研究家の推計を正しいと認めることもできないと言っているのです。

■日本政府「ユネスコが政治利用されないように」
 世界遺産への登録申請は中国政府が2014年に行ないました。戦後69年が経過した時点でそのような申請を行なったのは、習近平政権が「南京大虐殺」をあらためて世界に訴え、将来にわたって人類の教訓としたいと考えたからでしょうが、背景には国内の引き締めなど政治的に利用しようという意図が隠されている可能性があります。

 日本政府は、この事件については日中間に認識の相違があるので中国側だけの主張に基づく登録に反対し、また、中国政府に申請を取り下げるよう要請しました。それにもかかわらず、ユネスコは登録を決定したので、日本政府は、「日中間で見解の相違があるにもかかわらず、中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、完全性や真正性に問題があることは明らか」で、「記憶遺産として登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ」として、ユネスコ事業が政治利用されることがないよう制度改革を求めていくことを、外務報道官の談話として発表しました。

■ユネスコ拠出金「支払い停止」論は慎重に
 一方、一部には、ユネスコに対する拠出金の支払いを再考すべきだという発言も出ています。菅官房長官は13日の記者会見で、「我が国の(ユネスコへの)分担金や拠出金について、支払いの停止等を含めてあらゆる見直しを検討していきたい」と述べました。「支払いの停止を求める」と断言していないことは救いであると読者は思われるかもしれませんが、具体的な案件についてのユネスコの判断を軽々に分担金などの支払いと結びつけてはなりません。

 ユネスコが日本政府の主張を取り上げなかったことは、日本にとっては残念であり、また、承服できないことです。しかし、決定についての不服は、ユネスコの設立協定を含む国際法および国際慣習にのっとって主張しなければならなりません。そうしないと、日本はカネに物を言わせて主張を通そうとしていると非難を浴びる危険があります。

 国際機関の振る舞いが問題だという理由で分担金を払わないなどと強い言葉を吐くのは日本国内の偏狭な愛国心に訴えることができても、国際社会では日本の国益を損ないます。各国の新聞は、供出金の支払いを停止すべきだという意見が日本で出ていることを盛んに報道しています。
 外務報道官の談話はおおむね妥当ですが、最後の「制度改革を求めていく」には疑問を覚えます。

「『南京大虐殺』を登録すること」と「制度に問題があること」がすぐにつながらないからです。もし、「南京大虐殺」の登録を認めた制度に問題があるのならば、日本側の「東寺百合文書」と「舞鶴への生還」の登録も同じ問題がある制度の下で決定されたことになり、ひいては登録自体にケチがつく恐れがあります。この「制度改革」の問題はさておいて、今回の「南京大虐殺」については、日本としてはカネの話など一言もしないで、あくまでユネスコの決定の誤りを指摘し、是正を求める“正攻法”によるべきだと考えます。

■美根慶樹(みね・よしき) 
平和外交研究所代表。1968年外務省入省。中国関係、北朝鮮関係、国連、軍縮などの分野が多く、在ユーゴスラビア連邦大使、地球環境問題担当大使、アフガニスン支援担当大使、軍縮代表部大使、日朝国交正常化交渉日本政府代表などを務めた。2009年退官。2014年までキヤノングローバル戦略研究所研究主幹

(ライブドアニュース 2015-10-17)



目次   


inserted by FC2 system