浄土宗

     法然


1.概略
 浄土宗(じょうどしゅう)は、法然(ほうねん)を開祖とする鎌倉時代に開かれた浄土信仰の教えです。「末法思想」を背景に阿弥陀仏の救済を説き、「念仏を唱えれば身分の貴賎にかかわらず往生できる」という平易な教えが、武士や農民の間に急速に広がりました。

2.教祖・重要人物
「法然」(1133ー1212)
 法然は長承2年(1133)、美作国久米(現・岡山県久米郡)の武士の長男に生まれました。幼名を勢至丸(せいしまる)といいます。9才の時、父の遺言に従い仏門に入り、13才で比叡山で学ぶ機会を得、15才で出家しました。比叡山では「源空」と名付けられ、法然房源空と呼ばれて「智慧第一」と謳われるようになりました。

 承安5年(1175)、43才で比叡山を下り、東山吉水(現総本山・知恩院)に庵を構えて「日本浄土宗」を開宗します。「無量寿経」に説かれた阿弥陀仏の本願を信じて、一心に阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)を唱えることにより極楽浄土に往生できる、との教えを説き広めました。日本天台宗の僧・源信の「往生要集」と中国浄土教の善導の「観無量寿経疏」(無量寿経の注釈)に影響を受けているといわれます。

 叡山や南都から批判がありましたが、この念仏の教えはまたたく間に広まりました。その一方、弟子の不行跡や叡山・興福寺の反発などがあって、法然は75才の老齢で四国配流に処せられました。4年後に京に戻るとその翌年、念仏の肝要を述べた「一枚起請文」を弟子に与えて、80才の生涯を終えました。
 
3.教典
 「浄土三部経」(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)
 (法然の著作)『選択本願念仏集』

4.本尊
 阿弥陀仏
 (唱名)南無阿弥陀仏

5.教義
「専修念仏」
 念仏する心構えについては、三心(至誠心、深心、回向発願心)四修(恭敬修、無余修、無間修、長時修)が説かれる。
 念仏は、比叡山で行われていた行の一つでした。空也は「ひとたび南無阿弥陀仏と唱えれば、成仏できない人はいない」と念仏を勧めた。その後、源信の「往生要集」には地獄の凄惨さや極楽浄土の素晴らしさが対比され、極楽に往生するには念仏が大切であることが、庶民に浸透しました。

6.歴史
 現存する派では、弁長の鎮西派(九州を起点として京都に進出)が知恩院を総本山として浄土宗の主流となり、証空の西山派が西山浄土宗(総本山・京都光明寺)・浄土宗西山禅林寺派(京都禅林寺、通称・永観堂)・浄土宗西山深草派(京都誓願寺)の各派を形成しています。
 
7.宗派
 
8.主要寺院
総本山
 鎮西派
 華頂山知恩院
 西山派
 東山禅林寺(永観堂)(禅林寺派)
 粟生光明寺(西山浄土宗)
 京極誓願寺(深草派)

鎮西七大本山
 三縁山増上寺(東京都)
 紫雲山金戒光明寺(京都市)
 天照山光明寺(鎌倉市)
 百万遍知恩寺(京都市)
 井上山善導寺(福岡市)
 善光寺大本願(長野市)
 善光寺(長野市)
 清浄華院(京都市)
  
9.その他
「末法思想」
 末法思想(まっぽうしそう)とは、仏教思想の一種であり、釈迦の立教以来の時代を正法・像法・末法の三時観で分けて考え、釈迦の教えが及ばなくなった末法においては、仏法が正しく行なわれなくなるという終末論を指すものである。「世も末だ」と言う表現はここから来ている。
 末法思想は、中国では隋、唐代に盛んとなり三階教や浄土教の成立に深いかかわりを持った。日本では平安時代のころから現実化してきた。特に1052年(永承7年)は末法元年とされ、人々に恐れられた。

 この時代は貴族の摂関政治が衰え、代わって武士が台頭しつつある動乱期で、治安の乱れも激しく民衆の不安は増大しつつあった。また仏教界も天台宗をはじめとする諸寺の腐敗や僧兵の出現によって退廃していった。このように仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したため人々の現実社会への不安は一層深まり、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒していった。しかし鎌倉時代に入り、社会が安定するにつれて末法思想は薄れていった。

「浄土教」
 日本では7世紀前半に浄土教(浄土思想)が伝えられたが、9世紀前半に円仁(794年-864年)が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に伝えた。やがて良源(912年-985年)が極楽浄土九品往生義、源信(942年-1017年)が『往生要集』を著して、天台浄土教が盛行するにいたった。藤原頼通が築いた平等院も浄土思想に基づくもの。

 平安時代の浄土思想は、主に京都の貴族の信仰であったが、空也(903-972年)は庶民に対しても浄土教を広め、市の聖と呼ばれた。「一人の念仏が万人の念仏と融合する」という融通念仏(大念仏)を説いた良忍(1072年-1132年)は融通念仏宗の祖となった。天台以外でも三論宗の永観(ようかん)(1033年-1111年)や真言宗の覚鑁(かくばん、1095年-1143年)のような念仏者が輩出した。


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