日蓮宗日蓮
1.概略
日蓮宗(にちれんしゅう)は、鎌倉時代中期に日蓮(にちれん)によって興された仏教宗派です。「法華経」を中心の教典とし、法華宗とも称します。
2.教祖・重要人物
「日蓮」(1222〜1282)
日蓮は、貞応元年(1222)、千葉県安房(あわ)小湊(こみなと)で誕生しました。郷里の清澄寺(せいちょうじ)に12才で入山し、16才で出家しました。鎌倉の光明寺、比叡山・奈良諸大寺・高野山などにおいて研鑽を積み、「法華経」こそ諸経の王、釈迦の真説にかなう教典であると確信しました。
建長5年(1253)、32才で清澄寺に戻った日蓮は立教の宣言を行います。その後、仏教界の各宗批判(「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」=四箇格言)を行い、為政者に対しては諫言を行いますが、数々の迫害にあいました。松葉が谷草庵焼き討ち(1260)、伊豆に配流(1261)、小松原での襲撃(1264)、龍の口の処刑未遂と佐賀への配流(1271)。
文永11年(1274)、53才で赦免となった日蓮は、鎌倉で幕府に対する三度目の諫言を行いました。その後、身延山に移って草庵を建て、弟子の育成と著述の日々を送りました。
弘安5年(1282)、療養のため常陸国(ひたちのくに)に向かい、途中池上において61才の生涯を閉じました。
3.教典
「法華三部経」
(日蓮の著作)
「立正安国論」
「開目抄」(かいもくしょう)
「観心本尊抄」(かんじんのほんぞんしょう)
4.本尊
久遠実成本師釈迦牟尼仏
(唱名)南無妙法蓮華経
5.教義
「題目」
念仏が「南無阿弥陀仏」と名号を唱えるのに対し、日蓮宗は「南無妙法蓮華経」とお経の題目を唱えます。日蓮は鎌倉で浄土宗や禅宗を学んだのち、比叡山で天台宗の法華経思想や密教を研究し、法華経こそ真理であり、釈迦の教えであると確信しました。最澄と違う点は、「南無妙法蓮華経」という題目をとなえることによって成仏出来るということです。
「立正安国」
「立正安国」(国家の安泰)を実現するためには、邪宗をあらため、法華経の教えに目覚めさせ、法華経に全国民を帰依させなければならない、と主張しました。念仏宗が個人の救済を求めたのに対し、日蓮は法華経によって国家を救済しよううとしたのです。
日蓮の強引な説法は弾圧を招きます。しかし、彼はこれを「法難」と考え、自らを末法の世に法華経を広めるように釈迦から任命された「上行菩薩」(法華経に現れる菩薩)の生まれ変わりだとします。
6.歴史
日蓮没後、高弟を中心として布教が展開され、各派が形成されました。また京都の町衆を中心とした法華宗の隆盛、為政者(秀吉)の要請に従う派と従わない派(不受不施派)の内部対立がありました。
7.宗派
日蓮宗
顕本法華宗
本門法華宗
法華宗本門流
法華宗陣門流
法華宗真門流
日蓮宗不受不施派
不受不施日蓮講門宗
日蓮正宗
日蓮本宗
8.主要寺院
祖山(総本山)
身延山久遠寺(くおんじ、山梨県南巨摩郡身延町)(48本山の総本山)
別格本山
大野山本遠寺(おおのさん・ほんのんじ、山梨県南巨摩郡身延町)
大本山
小湊山誕生寺(こみなとさん・たんじょうじ、千葉県鴨川市)
千光山清澄寺(せんこうさん・せいちょうじ、千葉県鴨川市)
中山法華経寺(なかやまほけきょうじ、千葉県市川市)
北山本門寺(富士山本門寺、重須本門寺とも。きたやまほんもんじ、静岡県富士宮市)
池上本門寺(いけがみほんもんじ、東京都大田区)
具足山妙顕寺(ぐそくさんみょうけんじ、京都府京都市上京区)
大光山本圀寺(だいこうさんほんこくじ、京都府京都市山科区)
9.その他