臨済宗

     栄西


1.概略
 臨済宗(りんざいしゅう)は、中国で南宋禅に属する臨済宗の印可(師が弟子の悟りを認可すること)を得た栄西(えいさい)が、日本初の禅寺を建立して開宗した禅宗の一派です。栄西は中国から茶の種を持参し、茶を広めたことから、日本の「茶祖」(ちゃそ)とも称されています。
(中国の禅宗は、菩提達磨を初祖として、その後、北宋禅と南宋禅に分かれ、南宋禅が発展して五家七宗を数え、そのうち臨済宗が最も栄えました)

2.教祖・重要人物
「栄西」(1141〜1215)
 栄西は、永治元年(1141)、備中(びちゅう、現・岡山県)吉備の神職の家・加陽(かや)氏に生まれました。11才の時に出家し、天台宗寺門派(円珍派)の教えを学び、14才で比叡山に入山します。そこで天台密教の修行に励みましたが、宗派間の対立に失望して下山し、仁安3年(1168)、日宋を果たしました。

 中国では天台教学が衰退しつつあり、禅宗の流行を目の当たりにして、帰国しました。次いで文治3年(1187)、目的地を釈迦の生誕国インドに定め、二度目の入宋を果たして陸路インドを目指しましたが、政情不安から叶いませんでした。帰国船が暴風で温州に流されたため、再度天台山に入山して、臨済宗黄竜派の虚庵懐敞(きあんえしょう)の門下なって参禅を続け、印可を得ました。

 建久3年(1192)、帰国した栄西は、九州を中心に禅宗を広め、博多で我が国最初の禅寺聖福寺(しょうふくじ)を開創しましたが、京都では伝統仏教(天台宗など)の反対にあい、鎌倉に居を構えて北条政子や将軍・頼朝家などの帰依を受けました。そして鎌倉の地で寿福寺(じゅふくじ)を開創して臨済宗の基礎を確立し、建仁2年(1202)、頼家が京都に建立した建仁寺(けんにんじ)の開山となって、念願の京都での足場を築きます。
 その後は、京都・鎌倉を往復して精力的に禅を広め、75才で没しました。
 
3.教典
 「般若心経」「観音経」など
 (栄西の著作)
 「喫茶養生記」

4.本尊
 釈迦牟尼仏
 (唱名)南無釈迦牟尼仏

5.教義
「公案」
 禅宗は「人の心も仏の心も基は一つ(仏性)なのだから、仏を外に求めるのではなく、自分の中に悟りを求める」、つまり「仏性に目覚めれば自ずと仏になる」という仏教の本質を正面から追求する宗派です。
 臨済宗では、悟りに至る修業の方法として「公案」が用いられます。公案とは優れた禅僧の言葉や行いを例に出して、「さあ、なぜじゃ」と問いかけるものです。正解のない問いですから、修行者は七転八倒。こういう禅問答によって修行者を悟りに導きます。このことから「看話禅」(かんなぜん)と呼ばれます。
 
6.歴史
 臨済宗は多くの逸材を輩出しました。夢窓疎石・一休宗純・沢庵宗彭・盤珪永琢・至道無難などの名が良く知られていますが、今日の臨済宗の基礎を確立したのは、江戸時代の中興の祖・白隠慧鶴(はくいんえかく、1685〜1768)でした。500年間不世出の人と称えられた白隠によって臨済宗の民衆化が果たされました。現在の臨済宗諸派(14派)もすべて白隠の法系で占められています。
 
7.宗派
建仁寺派
1202年(鎌倉時代の建仁二年)、中国(宋)に渡って帰国した明庵栄西禅師により始められた。栄西は最初に禅の伝灯を日本に伝えた。京都にある大本山の建仁寺は、日本最古の禅寺である。

東福寺派
1236年 宋に渡り帰国した円爾弁円により京都で始まる。 京都の東福寺を本山とする。戦国時代、毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊はこの宗派。

建長寺派
1253年に鎌倉幕府五代執権 北条時頼が中国(宋)から招いた蘭渓道隆(大覚禅師)が開山した鎌倉の建長寺を本山とする。 建長寺は日本で初めて純粋な禅の道場が開かれた日本で最初の禅寺で、一時は1000人以上の禅僧が修行をしていた。

円覚寺派
1282年 中国から招かれた無学祖元により鎌倉で始まる。 鎌倉の円覚寺を本山とする。 円覚寺は、無学祖元から高峰顕日、夢窓疎石へと受け継がれ日本の禅の中心となった時期もある。明治以降の有名な禅師は、今北洪川、釈宗演。 鈴木大拙は両師の元に在家の居士として学び、後に禅を西洋に紹介した。

南禅寺派
1291年 無関普門により始まる。 京都にある南禅寺を本山とする。

国泰寺派
1300年頃 慈雲妙意により始まる。 明治時代に山岡鉄舟の尽力で再興した富山県高岡市にある国泰寺を総本山とする。 鉄舟開基の谷中の全生庵も国泰寺派の名刹である。

大徳寺派
1315年 宗峰妙超により始まる。 京都の大徳寺を本山とする。 室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。

向嶽寺派
1327年 抜隊得勝により始まる。 山梨県塩山市の向嶽寺を本山とする。

妙心寺派
1337年 関山慧玄により始まる。京都の妙心寺が本山。 末寺3,400余ヵ寺を持つ臨済宗最大の宗派。塔頭寺院には、桂春院、春光院、退蔵院などがある。

天竜寺派
1339年 夢窓疎石により始まる。 京都の嵐山の天竜寺を本山とする。

永源寺派
1361年 寂室元光により始まる。滋賀県東近江市にある永源寺を本山とする。

方広寺派
1384年 無文元選により始まる。静岡県引佐町にある方広寺が本山。

相国寺派
1392年 夢窓疎石により始まる。 足利義満により建立された京都の相国寺を本山とする。

佛通寺派
1397年 愚中周及により始まる。 広島県三原市の佛通寺を本山とする。

8.主要寺院
  
9.その他
「武家政権の支持」
 同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。その後時代を下り、江戸時代に白隠禅師によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅ともいわれている。


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