真言宗

     空海

1.概略
 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀初頭に開かれました。空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としています。天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教を「東密」と称します。

2.教祖・重要人物
「空海」(774〜835)
 空海は宝亀5年(774)、讃岐国(現・香川県)で生まれました。18才の時、上京して儒教・道教・仏教の三学を学びましたが、勉学に飽きたらず山野を遍歴しながら修業し、24才の時、儒・道・仏の三教を比較して論じた「三教指帰」を著しました。

 延暦23年(804)、遣唐使に随行して入唐し、翌年、長安(西安)の清竜寺で恵果(けいか)の弟子となり、密教の奥義を伝授されました。この時、天台宗の開祖・最澄も別の舟で入唐しています。同年12月、師・恵果が没し、帰国して密教を広めるようにとの師の遺言によって、翌大同元年(806)帰国しました。

 帰国後は、和気氏の高雄山に住んで真言密教を広め、弘仁3年(812)には最澄以下、僧俗145名に灌頂(密教の儀式)を授けています。この間、嵯峨天皇の信任を得て東大寺別当(寺務を統括する寺の僧官職)などを歴任し、弘仁7年(816)、現本山・金剛峰寺のある高野山の地を賜ってその開創に着手しました。

 弘仁14年(823)、京都の鎮護のために建立された寺の一つ東寺(とうじ、教王護国寺)を賜り、真言密教の根本道教としました。天台宗を「台密(天台密教)」と称するのに対し、真言宗を「東密(東寺密教)」と称するのはそのためです。
 空海は、仏教の業績のみならず、社会事業としては四国の万濃池の修復、文化面では教育機関「綜芸種智院」の開設、書では日本三筆と謳われるなど、多彩な活動を展開しました。

 承和2年(835)、高野山にて入定しました(高僧の死去。空海の場合、死後も山に留まる意を込めて用いる)。 延喜21年(921)、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇より「弘法大師」の諡号が贈られました。
 
3.教典
 「大日経」「金剛頂経」
 (空海の著作)
 「即身成仏義」 「声字実相義」 「吽字義」 「文鏡秘府論」 「篆隷万象名義」 「弁顕密二教論」
 「秘密曼荼羅十住心論」 「秘蔵宝鑰」

4.本尊
 法身・大日如来、金剛界と胎蔵界の曼陀羅
 (唱名)南無大師遍照金剛

5.教義
「即身成仏」(そくしんじょうぶつ)
 空海が学んだ密教では、大日如来が宇宙の根本仏とされ、すべての神仏の母胎と考えます。手に印を結び、口に真言を唱え、心を集中する修行をすれば、大日如来と一体となり、自ら仏になれる(即身成仏)と説きます。

6.歴史
 空海の入定後、修法の系統の分派によって小野流と広沢流に分かれ、中興の祖・覚鑁(かくばん)が独立して立てた新義真言宗が二分して豊山派(本山・長谷寺)と智山派(本山・智積院)が誕生しています。
 
7.宗派
「真言宗十八本山」 
 金剛峯寺 - 高野山真言宗総本山
 東寺(教王護国寺) - 東寺真言宗総本山
 善通寺 - 真言宗善通寺派総本山
 随心院 - 真言宗善通寺派大本山
 醍醐寺 - 真言宗醍醐派総本山
 仁和寺 - 真言宗御室派総本山
 大覚寺 - 真言宗大覚寺派大本山
 泉涌寺 - 真言宗泉涌寺派総本山
 勧修寺 - 真言宗山階派大本山
 朝護孫子寺 - 信貴山真言宗総本山
 中山寺 - 真言宗中山寺派大本山
 清澄寺 - 真言三宝宗大本山
 須磨寺 - 真言宗須磨寺派大本山(以上、古義真言宗系)
 智積院 - 真言宗智山派総本山
 長谷寺 - 真言宗豊山派総本山
 根来寺 - 新義真言宗総本山(以上、新義真言宗系)
 西大寺 - 真言律宗総本山
 宝山寺 - 真言律宗大本山(以上、真言律宗)

8.主要寺院
  
9.その他
「密教」
 密教とは、秘密仏教の略称。密教徒の用語では大乗、小乗に対して「金剛乗」(金剛乘)ともいう。一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
 密教色の強いチベット仏教が「ラマ教」と俗称されるのは、師資相承における「師(ラマ)」に絶対的に帰依する特徴を捉えたものである。師が弟子に対して教義を完全に相承したことを証する儀式を伝法灌頂といい、教えが余すところなく伝えられたことを称して「瀉瓶の如し(瓶から瓶へ水を漏らさず移しかえたようだ)」という。

「遍照金剛」
 中国で伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられた。この名は後世、空海を尊崇する真言として唱えられるようになる。

「最澄との訣別」
 法華一乗を掲げる最澄と密厳一乗を標榜する空海とは徐々に対立するようになり、弘仁7年(816)初頭頃には訣別するに至る。なお二人の訣別に関しては、古くから最澄からの理趣釈経(「理趣経」の注釈書)の借覧要請を空海が拒絶したことや、最澄の弟子泰範が空海の元へ走った問題があげられる。だが、近年その通説には疑義が提出されている。

「四国八十八箇所」
 故郷である四国において彼が山岳修行時代に遍歴した霊跡は、江戸初期の真念によって札番号を付けてまとめられ、俗に言う四国八十八箇所の寺々他多くの霊跡として残り、それ以降霊場巡りは幅広く大衆の信仰を集めている。

「光明真言」(こうみょうしんごん)
 「光明真言」は、『不空羂索神変真言継』(ふくうけんざくじんぺんしんごんきょう)に説かれている梵字24文字からなる真言である。「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」というこの真言は、サンスクリット語をそのまま音写したもので、翻訳すると、「オン 不空なる遍照尊よ。大印を持つものよ。宝珠と蓮華の光明を放ち給え。ウン」となる。

 そしてこの真言において、「不空=不空成就如来」、「遍照尊=大日如来」、「大印=阿しゅく如来」、「宝珠=宝生如来」、「蓮華=阿弥陀如来」を意味するとされることから、別名「五仏の真言とも呼ばれている。この真言の功徳は絶大で、どのような罪を犯したものであっても、この真言を唱えればその罪障は速やかに滅し、また、この真言で加持した土砂を死者の遺体の上に撒けば、死者の魂は極楽に導かれるとされる。
 このことから、光明真言は特に真言宗において大変重要視されていて、様々な法要において必ず唱えられ、更には、光明真言の梵字を円形に配置した「光明真言曼茶羅」なども制作されている。(大法輪 2012ー11)

「空海により伝えられたという伝説・伝承があるもの」
 灸、讃岐うどん、手こね寿司

「空海に関することわざ・慣用句」
◆弘法にも筆の誤り
 …天皇からの勅命を得、大内裏応天門の額を書くことになったが、「応」の一番上の点を書き忘れてしまった。大師は筆を投げつけて書き直しをされた。現在残っているこのことわざの意味は「たとえ大人物であっても、誰にでも間違いはあるもの」ということだけであるが、本来は「さすが大師、書き直し方さえも常人とは違う」というほめ言葉の意味も含まれている。

◆弘法筆を選ばず
 …文字を書くのが上手な人間は、筆の良し悪しを問わないということ。但し空海自身は、よい書を書くためにはその時々によって筆を使い分けるべきであると言ったと伝えられている。「弘法筆を選ぶ」として、逆の意味のことわざとして用いられることもある。

◆護摩の灰
 …弘法大師が焚いた護摩の灰と称する灰を、ご利益があるといって売りつける、旅の詐欺師をいう。後に転じて旅人の懐を狙う盗人全般を指すようになった。

「関連小説」
 空海の風景(1976年 司馬遼太郎)
 曼陀羅の人―空海求法伝(1984年 陳舜臣)
 沙門空海唐の国にて鬼と宴す(2004年 夢枕獏)
 四国遍路の近現代―「モダン遍路」から「癒しの旅」まで(2005年 森正人)

「映画」
 空海(1984年東映 監督:佐藤純彌 脚本:早坂 暁 音楽:ツトム・ヤマシタ)
 曼荼羅/若き日の弘法大師・空海(1991年東宝東和 監督:テン・ウェンジャ 音楽:喜多嶋修)


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