天台宗

     最澄

1.概略
 天台宗(てんだいしゅう)は、平安時代に真言宗と共に日本仏教の中核となった宗派です。最澄(伝教大師)が近江国(現・滋賀県)に建立した比叡山延暦寺で、鎌倉仏教の祖師たちが学んでいることから、日本仏教の母山と称されています。

2.教祖・重要人物
「最澄」(767〜822)
 最澄は神護景雲元年(767)、比叡山山麓で帰化人の末裔として生まれました。12才で出家し、延暦4年(785)、東大寺の戒壇(正式な戒を受ける場所)で受戒して僧の資格を得ました。

 その直後、当時の仏教界の堕落を見て、修行の場を比叡山に求めて入山、やがて「法華経」を最高原理とする一乗思想を仏教の根本だと確信します。延暦7年(788)に一乗止観院(のちの根本中堂)を建立して求道一筋の生活に励みました。

 延暦16年(797)、最澄は十禅師(宮中内道場に供奉する十人の高僧)の一員となり、翌17年(798)より毎年、一乗止観院にて法華経講会を開催します。延暦23年(804)、還学僧(朝廷から与えられた高僧としての身分)として遣唐使舟で入唐を果たし、天台山において智覬(ちぎ)が開宗した中国天台宗の法統を受け、さらに密教、禅をも学んで一年後に帰国しました。

 帰国後、桓武天皇の信任を受け、延暦25年(806)、天台宗の創立が公認されましたが、天皇崩御ののち、南都諸宗との間で戒壇建立問題や教義上の激しい論争を展開する一方で、一時交友を深めた空海との訣別などもあって、弘仁13年(822)、最澄は日本天台宗の基礎を築き56才で入寂しました。
 最澄入寂7日目に、最澄の念願であった比叡山の大乗戒壇設立の勅許がおりました。
 
3.教典
 「法華経」「阿弥陀経」など。

4.本尊
 法華経如来寿量品に説かれた久遠本仏とその働きを示す諸仏。
 (唱名)南無阿弥陀仏

5.教義
「一切皆成」(いっさいかいじょう)
 「人は勿論、草や木でさえも成仏できる」という意味です。自分だけの悟りを開こうとする奈良仏教とは違い、すべての人は悟りを開くことが出来、他人のために菩薩行をおこなう……その根拠が「法華経」だとします。

「法華経が最高原理」
 中国の天台宗第三祖の智覬(ちぎ、538年−597年、天台智者大師)は、鳩摩羅什訳の法華経・摩訶般若波羅蜜経・大智度論、そして涅槃経に基づいて教義を組み立て、「法華経」を最高位に置いた「五時八教」という教相判釈(経典成立論)を説き、止観によって仏となることを説きました。

 また最澄は「仏国土建設」のために、あらゆる仏教を体系化しようとしました。このため比叡山は日本の仏教研究の中心となり、鎌倉時代に花開いたおもな宗派の源流になりました。

6.歴史
 第四代天台座主・円仁(えんにん・慈覚大師)と五代・円珍(えんちん・智証大師)の二人の高僧によって「天台密教(台密)」の確立を見ましたが、この両者の弟子の対立によって分派を生ずることになりました。次いで中興の祖・良源(りょうげん・慈恵大師)と織田信長の比叡山焼き討ちのあとを再興させた天海(てんかい)大僧正などの継承によって今日に至っています。

7.宗派
 天台宗、和宗、聖観音宗、天台寺門宗、天台真盛宗

8.主要寺院
 比叡山延暦寺(滋賀県大津市)
 長等山園城寺(三井寺)(滋賀県大津市)
 清香山寂光院(京都市左京区)
 魚山三千院(京都市左京区)
 青蓮院(京都市東山区)
 三身山太山寺(兵庫県神戸市)
 関山中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)
 清水山観世音寺(福岡県太宰府市)
 谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)
 東叡山寛永寺(東京都台東区)
 星野山喜多院(埼玉県川越市)
 日光山輪王寺(栃木県日光市)
 定額山善光寺(長野県長野市)
  
9.その他
「南都六宗より古い宗派」
 最澄の時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。

「日本の仏教の総合センター」
 延暦寺は戒壇を備えた数少ない寺院であり、長く日本の仏教教育の中心の一つであったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。


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