融通念仏宗

     良忍


1.概略
 融通念仏宗(ゆうづうねんぶつしゅう)とは、平安時代末期の永久5年(1117年)、天台宗の僧侶である良忍(りょうにん、聖応大師)が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から「一人の念仏が万人の念仏に通じる」という教えを授かり開宗した、念仏往生を説く宗派です。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言いいます。

2.教祖・重要人物
「良忍」(1072〜1132)
 良忍は、延久4年(1072)、尾州(びしゅう、現・愛知県知多郡)で生まれました。両親が熱田神宮に参籠して授かった子であると伝えられ、12才の時、比叡山に入山して、東塔の良賀僧都のもとで出家し、阿弥陀堂で常行念仏に励む堂僧として修行を積みました。さらに、円城寺の禅仁(ぜんにん)や仁和寺の永意(えいい)などの諸先達に師事して、天台教学や密教を修めます。

 しかし、当時の叡山は貴族社会と密着して堕落・俗化の傾向が著しかったため、退去し、23才で洛北・大原の里の勝光院に隠棲しました。この地で来迎院を開創して、24年間「法華経」の読経と「六万遍の念仏」を修する厳しい修行生活をおくります。そして永久5年(1117)、40才の時、阿弥陀仏から「一人一切人、 一切人一人 、一行一切行、 一切行一行、 十界一念、 融通念仏、 億百万編、 功徳円満」との教えを授かり、一人の念仏と一切衆生の念仏が融通するという他力往生を感得し、融通念仏宗を開宗しました。

 その後 、良忍は鞍馬寺において、多聞天より念仏による衆生済度の夢告を受け、勧進帳(念仏入信者の名を記す帳面)を携えて、布教を開始しました。そして鳥羽上皇をはじめ、多くの人々に念仏を勧め、さらに東海から山陽にかけて念仏を広めました。
 晩年は、摂津住吉の修楽寺別院(のちの総本山・大念仏寺)を中心にして過ごし、61才で来迎院において生涯を閉じました。
 
3.教典
 「大方広仏華厳経」「妙法蓮華教」「梵網経」「浄土三部経」

4.本尊
 十一尊天得如来

5.教義
「一人の念仏が万人の念仏に通じる」
 阿弥陀仏から授かった教えの通り、ともどもが唱和する念仏の中に、阿弥陀仏の本願力と自己の念仏の力と、すべての人の念仏の力とが互いに響き合い、現世に喜びあふれ智慧輝く楽土を建設することにあります。
 専修念仏の最初の宗派であり、より純粋な天台系の浄土教仏教を伝えていて、その後の浄土宗や浄土真宗の先行的形態と内容を持つともいえます。

6.歴史
 融通念仏宗は、六世・良鎮(りょうちん)まで続きましたが、そのあと後継者が絶えてしまったため、良鎮は宗の宝物などを石清水八幡宮に託して他界しました。140年後、比叡山で学んだ法明良尊(りょうそん)が宗を再興し、大念仏寺をはじめ、中本山となる来迎寺(松原市)、極楽寺(河内長野市)、大念寺(南河内郡)を興しました。

 その後、江戸元禄期の大通融観(だいつうゆうかん)によって大いに発展し、融通念仏宗の基盤が成立しました。。この経緯から、宗祖・良忍、中祖・法明、再興・大通を融通三祖としています。
 
7.宗派

8.主要寺院 
総本山 大念仏寺 (大阪市平野区)
 大治2年(1127年)に鳥羽上皇の勅願により、宗祖良忍が開創した。平安時代にこの地域を開発したといわれる坂上田村麻呂の次男である「平野殿」こと坂上広野の私邸内に建てられた修楽寺が前身と伝わる。日本最初の念仏道場である。
  
9.その他






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