儒 教

孔子

1.概略
 儒教とは、中国の春秋時代に孔子の教えを元に成立した実践的倫理思想です。天を崇拝し、祖先崇拝を尊びます。中国の国学として中国人の精神をかたちづくりました。 

2.教祖・重要人物
「孔子」(前552〜479)
 孔子は春秋時代の末、魯の国(現在の山東省曲阜)に生まれました。名を丘(きゅう)、字(あざな)を仲尼(ちゅうじ)といいました。早く両親と死別し、貧苦のうちに育ちました。子供の頃から祭りのまねをして遊び、昔からの儀礼・制度・慣習に通じていました。(母は、宗教儀礼を執り行う儒と呼ばれる集団の出身であったといわれます)

 成人して役人となり、50才すぎに法務大臣のような役につきましたが、56才で失脚しました。
 その後、諸国をめぐる旅に出たが、孔子を迎え入れる国はありませんでした。68才で魯に戻り、古典をまとめたり弟子の教育に力を注ぎました。

3.教典
「四書」
 大学=漢の武帝が大学を設置した際の教育理念
 中庸=中庸を論じたもの
 論語=孔子と彼の高弟の言行録
 孟子=孔子の弟子である孟子の言行録

「五経」 仁・義・礼・智・信の5つの徳を説く
 詩経=殷王朝から春秋時代までの詩311編
 書経=尭舜時代から春秋時代に至る政治史・政教
 易経=周代の易学の集大成
 礼記=周末から秦・漢時代の礼儀に関する書
 春秋=魯の史書を年月・四季の順に整理した書

 中国の歴代王朝では、官吏になる試験制度として「科挙」がありました。四書五経は中国の国定教科書であり、ここから出題されました。日本でも江戸時代には、忠君思想や倫理観を学ぶため、武士の間で広く読まれました。

4.教義・戒律
 「仁」と「礼」を重んじる倫理思想を説きました。仁とは「人への思いやり」で、礼とは「上下関係の礼儀」です。このように家族の倫理を国家・天下を治める原理としており、礼によって社会秩序の回復をはかり、「書経」を学ぶことによって徳を積み、仁を行うことを説きました。
 神や仏や人間存在の真理と言うよりも「君子たるものは、政治家としてどのように歩むべきか」という政治学を説きました。

5.宗教行事・祭礼
「孔子祭」
 孔子の生誕祭。台湾や日本の孔子廟では、9月の最終土曜日に開催される。

6.宗教生活・礼拝方法
 儒教では伝統的に「祖先崇拝」が行われ、仏壇に飾ってある「位牌」も儒教からきたものです。

7.象徴(像・シンボル)

8.歴史
 漢の武帝(在位 前141〜87)は、儒教を国教としました。特に五経が重んじられ、陰陽五行説などが取り入れられて神秘的な色合いを濃くしました。
 宋の時代には老子・荘子の思想などを取り入れて、朱子学(理と気を宇宙の根源と考える)が生まれました。これ以後、もっと儒教を平易にとらえることができるように四書が定められました。

 明の時代に知行合一を説く陽明学が生まれました。その後、1911年に清が滅びるまで儒教は国家の思想的支柱でありました。
 日本の江戸幕府は、朱子学を官学として採用しました。儒教は、士農工商の身分差別や忠孝の倫理、家父長中心の家族道徳などを根拠づける思想として、封建支配を支える役割をはたしました。

9.宗派

10.その他
「孔子の実像」
 孔子は立派な為政者の道を説いた人ですが、実際の孔子は違うようです。
 たとえば、家庭生活の倫理を説く一方で、妾や妾の子が大勢いてその扶養がたいへんなので「女子は養いがたし」とため息をついています。
 また、仁と礼をわきまえた人物のはずが、主君に対して少なくとも2回は謀反者の参謀になろうとしました。

「孔門十哲」(こうもんじってつ)
 孔門十哲は、「孔門の十哲」「四科十哲」ともいわれ、孔子の弟子の中でも最も優れた十人の弟子をさします。
◆徳行
 顏淵(がんえん、顔回)、閔子騫(びんしけん)、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)
◆言語(弁舌の才)
 宰我(さいが)、子貢(しこう)
◆政事
 冉有(ぜんゆう)、季路(きろ、子路)
◆文学(学問の才)
 子游(しゆう)、子夏(しか)


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