シーク教ナーナク
1.概略
シーク教は16世紀初頭、ナーナクがインド北西部パンジャブ地方で始めた宗教で、イスラム教の影響を受けてヒンズー教の改革をめざした宗教です。信徒数は約2000万人(1996年)。
2.教祖・重要人物
「ナーナク」(1469〜1538)
ナーナクは、西北インドのパンジャブ州のラホール郊外に住む商人の息子として生まれました。結婚して2人の息子をもうけましたが、若い頃からヒンズーとイスラム両宗教の聖者との交わりを深めていました。特に北インドのカビールというヒンズー教改革者には、大きな影響を受けました。
ナーナクは30才頃、沐浴中に霊感を受けて修行者となり、約20年間各地を遍歴しました。その後、インダス川支流のカルターブルに定住して弟子の育成に勤め、この地で生涯を終えました。
3.教典
「アーディ・グランド」
10代のゴーヴィンド・シンに後継者がいなかったため、遺言によりグルは置かず、教典がグルとされるようになりました。
4.教義・戒律
唯一神観、偶像否定、万民平等観などにみられるようなイスラム教的要素と、業・輪廻説と解脱志向に代表されるヒンズー教的要素をあわせもっています。「シーク」とは、サンスクリット語の「シシャ(弟子)」がなまったもので、ナーナクの弟子を意味します。
5.宗教行事・祭礼
「ガードワラ」とよばれるシーク教のお寺では、偶像崇拝を否定する教義に基づき、聖像や聖画はありません。
6.宗教生活・礼拝方法
男子は「五つのK」を身につけることと、禁酒・禁煙の戒律がある。
ケーシュ(切らない髪) カンガー(くし) カラー(腕輪) カッチュ(短いズボン)
キルパーン(剣)
インド人で、ターバンを巻き、髭をたくわえた男性はシーク教徒です。
7.象徴(像・シンボル)
「ニシャン・サービフ」
シーク教の紋章。神はひとりであることを表す鉄の輪、真理と正義を表す両刃の剣、神の力を表す外側の二本の剣で構成されています。
8.歴史
4代のグル(指導者)によってシーク教の本山・黄金寺院の基が築かれました。息子の5代グルが「アーディ・グランド」(根本聖典)を作成しました。
しかし、5代と9代のグルがイスラム教王(ムガール王朝)に虐殺されると、反イスラム色を強めました。10代のゴーヴィンド・シンは、「剣の洗礼」を与えた信徒の軍隊を編成して、すべてのカースト出身者を受け入れるとともに、信徒にはシン(獅子)の名前をつけました。
この武力集団はパンジャブ州ラホールを中心に独立教国を生みますが、19世紀半ばにイギリスに倒されます。20世紀には激しい反英闘争でインド独立を助け、今日ではヒンズー国家からのシーク国家独立闘争が展開されています。
パンジャブ人が戦闘的なのは、古来よりこの地方には武士階級の人々が多かったためとも言われます。
9.宗派
ゴーヴィンドに従う獅子派と、創始者ナーナクに従う易行派に大きく分かれた。
10.その他