仏 教

1.概略
 仏教(英語:Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教の一つで、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。  

 バラモン教のカースト制度を否定して、すべての者の平等と救済を説いた。苦の世界から解脱するには、正しい道(八正道)を行って、悟りを開くことが必要であると説いた。信徒数は約3億2000万人(1996年)。

 日本では「お釈迦さま」と言って親しまれているが、「釈迦」とは、釈迦族出身の聖者を意味する「シャーキャムニ」を音訳した「釈迦牟尼(しゃかむに)」に由来する。さらに仏を意味する「世尊(せそん)」をつけて「釈迦牟尼世尊」略して「釈尊」と呼ばれることもある。また、本名の「ゴータマ・シッダールタ」の姓に「仏」を表すブッダをつけて「ゴータマ・ブッダ」とも呼ばれてる。「ブッダ(仏陀)」とは、サンスクリット語で真理を悟った者のこと。


寺院

仏像

托鉢







「仏教について」

 仏教がインド発祥であることは間違いないが、現代インドではヒンズー教やイスラム教の間に埋もれ仏教の存在感はほとんどない。むしろ上座部仏教が伝わったスリランカやタイ、大乗仏教が花開いた日本に定着している。大乗仏教は中国、韓国などを通過して伝来したが、最も信者数が多いのは日本である。

 仏教はキリスト教やイスラム教と比べ教義が穏健で、その意味で宗教というより思想に近い。ブッダ以来の原始仏教は生き方の範を示すような内容が多かった。学問重視の部派仏教に対する反発から生まれた大乗仏教に至り、「空」の思想など宗教らしい体裁を整えたといっていい。

 日本の仏教は飛鳥時代に伝来して以来、各宗派に分かれ発展してきた。だが、歴史的に見れば宗派間の垣根はさほどはっきりしたものではなく、平安時代の僧は南都六宗と平安二宗を合わせた「八宗兼学」が基本とされた。宗派の形が整ったのは、江戸時代に本山・末寺関係が成立してからだ。現代でも、たとえば葬式のやり方は日蓮宗・浄土真宗以外ほぼ同一である。

 江戸時代の寺院諸法度で統制がなされるまで日本の仏教勢力はきわめて強く、戦国大名などの世俗権力をしのぐほどだった。たとえば奈良・興福寺は現在の奈良県全域を寺領としていた。これは中世ヨーロッパで教会勢力が権勢を振るっていたことと共通している。

島田裕巳:宗教学者

(プレジデント 2011-12-5)



「日本の仏教…今こそ《現代宗教》への変革を」

 仏教の本質はその「現代性」にある、と言ったら驚かれるかもしれない。
 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)される仏教は、現代の問題にはまったく関心がなく、「抹香臭い」ばかりだと思っている人は多い。しかし、こうやってまとめられた大河のごとき仏教の潮流は、実はその時代その時代には、時代の最先端であり、前衛的な「現代思想」であった。

 バラモン教に支配された保守的なインド社会に彗星のように現れ出たのがブッダその人であり、彼を支持したのは伝統にとらわれぬ新興資本家たち、いわばベンチャ一の人たちだった。
 また日本に仏教を定着させた聖徳太子はまさに新時代の日本を創造した「前衛」の人そのものだし、最澄や空海も時代のスーパースターだ。その後仏教が比叡出にこもって保守化し民衆に届かなくなると、法然は山を下りる決断をし、親鷺、道元、日蓮といった個性あふれる鎌倉仏教のスターたちが生まれてくる。

 寺も決して葬式の場だけではなかった。寺子屋などの「学び」、医療や福祉の「癒やし」、芸能や娯楽の「楽しみ」といった、庶民の生活に密着した多面的な場が寺だったのであり、そこからさまざまな機能が奪われて「葬式、法事」のみになってしまったのは、たかだか明治時代以降のことなのである。

 しかし、いま日本仏教にもようやく再生のきざしが見え始めた。最近出版した『がんばれ仏教!』で私は現代によみがえる魅力的な寺を紹介したが、地域の福祉の中心を担ったり、国際ボランティアの拠点となったり、若者のアートの場となったりと、大活躍の寺が増えてきた。「教え」という「言葉」だけの仏教ではなく、同時代を生きる私たちが結び合い、支え合う存在であるという、「縁起」と「慈悲」を体現する仏教への変革の道がそこにある。

 弱肉強食の度を強める社会において、私達の「弱さ」と「苦悩」に真に向かい合うことで救いをもたらす仏教が、今こそ「現代宗教」となることが求められているのである。

(東京工業大助教授・上田紀行)



目次


inserted by FC2 system