仏 教

「ゴータマ・シッダールタ」(前463〜383)
■誕生
シャカ族 ゴータマはインド大陸の北方(現在のインド・ネパール国境付近)にあった小国シャカの出身です。シャカの都であり、ゴータマの故郷であるカピラヴァストゥは、現在のインド・ネパール国境のタライ地方のティロリコートあるいはピプラーワー付近にありました。シャカ族は専制王を持たず、サンガと呼ばれる一種の共和制をとっており、当時の二大強国マガタ(首都ラージャガハ(王舎城))とコーサラ(首都サーバッティ)の間にはさまれた小国でした。



父と母 ゴータマの家柄はラージャ(王)とよばれる名門でした。カピラヴァストゥの城主、シュッドーダナ(浄飯王)を父とし、隣国の同じシャカ族のコーリヤの執政アヌシャーキャの娘・マーヤー(摩耶夫人)を母として生まれました。

白象の夢 マーヤー夫人が眠っていると、白象となったゴータマが母親の胎内に入ってきて、自分のお腹に入る夢を見た。その直後懐妊しました。白象は六本の牙(歯)があったという。霊夢托胎(れいむたくたい)

誕生の地ルンビニー ゴータマは母親がお産のために実家へ里帰りする途中、ルンビニーの花園で休んだ時に誕生しました。母親の右脇腹から生まれました。伝説では「産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して『天上天下唯我独尊』と話した」と伝えられています。

アシタ仙人 アシタ仙人は子どもの将来を占って「人間のなかの最上になる方だ」と喜んだ。

ゴータマ・シッダールタ ゴータマ・シッダールタと名づけられました。ゴータマ(ガウタマ)は「最上の牛」を意味する言葉で、シッダールタ(シッダッタ)は「目的を達したもの」という意味でした。

母の死 産後7日目に母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、マハープラジャパティー(パーリ語:マハーパジャパティー)によって育てられました。当時は姉妹婚の風習があったことから、マーヤーもマハープラジャパティーもシュッドーダナの妃だった可能性もあります。マハープラジャパティーにはナンダという男子が生まれました。彼女は後に出家して、最初の尼僧となったと伝えられます。


誕生






■宮廷の栄華
王宮の生活 ゴータマはシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、クシャトリヤの教養と体力を身につけました。多感でしかも聡明な立派な青年として育ちました。

結婚 16歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、一子ラーフラ(束縛という意味)をもうけました。

四門出遊 ある時、ゴータマがカピラヴァストゥの東門から出る時老人に会い、南門より出る時病人に会い、西門を出る時死者に会い、この身には老も病も死もある(老病死)と生の苦しみを感じました。北門から出た時に一人の出家沙門に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった、という。


結婚

四門出遊




■出家
29歳で出家 私生活において一子ラーフラをもうけたことで、29歳の時、12月8日夜半に名馬カンタカにまたがり王宮を抜け出て、かねてよりの念願の出家を果たしました。

5人の王族の子弟 ゴータマが突然出家し、大騒ぎになりましたが、王子の身の回りを世話させようとして、王族の子弟5人(コンダンニャ、バッディヤ、ワッパ、マハーナーマ、アッサジ)を選んで王子の後を追わせたと伝えられます。

バッカバ仙人 出家してまずバッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察しますが、その結果、死後に天上に生まれ変わることを最終的な目標としていたので、天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると悟りました。

アーラーラ仙人 次にアーラーラ・カーラーマを訪れ、彼が空無辺処(無所有処(むしょうしょ))が最高の悟りだと思い込んでいるが、それでは人の煩悩を救う事は出来ないことを悟りました。

ウッダカ仙人 次にウッダカラーマ・プッタを訪れましが、非想非非想定(ひそうひひそうじょう)を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚りました。そしてマガタ国の首都ラージャガハ(王舎城)を離れ、ウルヴェーラの林へ入りました。

難行苦行 出家して6年(一説には7年)の間、苦行を積みました。減食、絶食等、座ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れるほど厳しい修行を行いましたが、心身を極度に消耗するのみで、人生の苦を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行を捨てました。

スジャータ その後ゴータマは、ナイランジャナー河で沐浴し、村娘スジャータの乳粥(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図りました。その際、王族の子弟5人は釈迦が苦行に耐えられず修行を放棄したと思い、釈迦をおいてベナレスのミガダーヤ(鹿野苑、ろくやおん)へ去ったという。


出家

苦行



■悟りを開く
菩提樹 ガヤー村のピッパラの樹(後に菩提樹と言われる)の下で、「今、証りを得られなければ生きてこの座をたたない」という固い決意で観想に入りました。すると、釈迦の心を乱そうと悪魔たちが妨害に現れます。壮絶な戦闘が丸1日続いた末、ゴータマはこれを退け大悟しました。(成道)

ブッダガヤ ガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、ブッダガヤと呼ばれるようになりました。

悟りの楽しみ ゴータマはそこに座わったまま動かずに、そばらく解脱の楽しみを味わいました。そして悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうか考えました。
 
ゴータマのためらい その結果、「この法(悟りの内容)を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうし、理解することはできないだろう。語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至りました。

梵天勧請 ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し勧められた(梵天勧請)。3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、教えを説こうと決心しました。

ベナレス まず、ともに苦行をしていた5人の仲間に教えを説こうと決め、ゴータマは彼らの住むヴァーラーナシー(ベナレス)に向かいました


成道






■教えを説く
初転法輪 ゴータマはミガダーヤ(鹿野苑)へ向かい、初めて5人の仲間に「中道」「四諦八正道」を説きました。これを初転法輪(しょてんぽうりん)と呼びます。この5人は、当初はゴータマは苦行を止めたので軽蔑していましが、説法を聞くうちコンダンニャがすぐに悟りを得、ゴータマは喜びました。他の4人も次々に悟りを得ました。

青年ヤサの出家 次いで、ベナレスの豪商の息子ヤサに対して説法をおこないました。ヤサは毎日遊びにふけっていましたが、真理に目覚め出家しました。ついで彼の家族や友人を教化し、60人の弟子ができました。

カッサパ兄弟 ガヤー村のウルヴェーラにもどり、当時有名だった事火外道(じかげどう)の、ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパを仏教に改宗させました。神通力を使い「聖火堂での毒蛇退治」「ナイランジャナーの奇跡」を行った。こうして1000人以上の構成員を持つようになり、一気に仏教は大教団化しました。

竹林精舎 ラージャグリハ(王舎城)で、マガダ国王ビンビサーラ王が在家信者となり、竹林精舎を寄進しました。

アッサジ サンジャヤという懐疑論者の弟子に、シャーリプトラ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)がいました。この2人は、アッサジ(最初に信者となった5人の内のひとり)によって釈迦の偉大さを知り、弟子250人とともに信者となりました。この2人は後に釈迦の高弟となり、前者は知恵第一、後者は神通第一といわれました。

モッガラーナと母 モッガラーナが超能力で亡き母の居所を探ると、餓鬼の世界で苦しんでいる姿が目に映りました。ゴータマは、7月15日の自恣(じし)の日に修行僧たちに供養すればよいと答えました。(盂蘭盆会の由来)


説法






■ブッダの弟子たち
祇園精舎 スダッタという商人が、コーサラ国の首都サーバッティ(舎衛城)に建設し寄進しました。

キサー・ゴータミー 死んだ我が子を生き返らせようと、狂ったように歩きまわるキサー・ゴータミーという長者の嫁がいた。ブッダは「死人を出したことのない家から白いケシの実をもらうのだ」という不可能な課題を出し「人は必ず死ぬ」ことを悟らせました。彼女は尼僧となりました。

アングリマーラ 残忍なアングリマーラという盗賊がいました。殺した人の親指を切り落として、それで首飾りをつくっていました。ゴータマにより改心し信者となりますが、托鉢していると、足でけられ棒で打ち付けられました。しかし「地獄に生まれるような行為をしてきたので、その報いをうけているけれども、心は晴れ晴れとしている」と語りました。

チュラパンタカ 物覚えの悪いチュラパンタカという修行僧がいました。ゴータマは「真っ白な雑巾が自分の手垢で汚れる」という体験を通じて、「自分の心に付いたむさぼりという垢を取り除く」ことを悟らせました。

アジャータサットゥ王 「父殺し」をしたアジャータサットゥ王に「因縁」を説いて聞かせ、王のできものを直しました。

パセーナディ王 コーサラ国のパセーナディ王に動物を殺す犠牲祭を中止させました。その後、王は政治から日常的なことまでゴータマに相談するようになりました。

デーヴァダッタ ゴータマの殺害、教団の乗っ取りをはかったが失敗しました。

アーナンダ ゴータマの後半生のおよそ25年間は、いつもアーナンダが侍者(おつきの修行僧)として仕えました。

■最後の旅
霊鷲山 生涯の最後の時期には、マガタ国の首都ラージャガハ(王舎城)東北の霊鷲山(りょうじゅせん)に留まっていました。ゴータマはカピラヴァストゥを目指して最後の旅に出ました。

ヴァッジ族 マガタ国のアジャータサットゥ王がヴァッジ族に戦争をしかけることをやめさせました。

ガンジス河を渡る ナーランダを通ってパータリ村に着きました。ここは後のマガダ国の首都となるパータリプトラ(現在のパトナ)。ここで釈迦は「五戒」を説きました。

アンバーパリー ヴァッジ国の首都ヴェーサリーで、アンバーパリーという遊女が所有するマンゴー林に滞在し、法を説きました。

旅に病む やがてベールヴァ村に進み、ここで最後の雨期を過ごすことになります。アーナンダなどとともに安居に入り、他の弟子たちはそれぞれ縁故を求めて安居に入りました。この時、ゴータマは死に瀕するような大病にかかりましたが、雨期の終わる頃には気力を回復しました。

自灯明法灯明 「私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。アーナンダよ、如来の教法には、あるものを弟子に隠すということはない。教師の握りしめた秘密の奥義はない」と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示しました。また「汝らは、みずからを灯明とし、みずからをたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとして、他をたよりとすることのないように」と訓戒しました。

チュンダ ボーガ市を経てパーヴァーに着きました。ゴータマは、ここで鍛冶屋のチュンダのために法を説き供養を受けましたが、激しい腹痛を訴えました。腹痛の原因はスーカラマッタヴァという料理で、豚肉、あるいは豚が探すトリュフのようなキノコであったという説もあります。

■入滅
臨終の地 最後の歩みをクシナーラーに向け、その近くのヒランニャバッティ河のほとりに行き、マッラ国のサーラの林に横たわり、そこで入滅しました。

臨終のことば 「さあ修行僧たちよ。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」これが最後のことばでした。その遺骸はマッラ族の手によって火葬にされました。

 入減後、弟子たちは亡きゴータマを慕い、残された教えと戒律に従って跡を歩もうとし、説かれた法と律とを結集しました。


入滅









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