イスラム教

1.概略
 イスラム教は、正式名をイスラームという。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者であるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
 ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色がある。

■ムスリム
 イスラム教はアラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれ、神がアラビア語をもって人類に下したとされるクルアーンを啓典とする宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビア語を起源とする語である。
 イスラム教に帰依する者(イスラム教徒)は、アラビア語起源の言葉でムスリムといい、ムスリムは、自らの教えの名を、アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味するイスラームの名で呼ぶ。「イスラーム」は「神への帰依」を意味すると解されており、「ムスリム」(イスラム教徒)は「神に帰依する者」を意味する。

 また、「イスラム」という名称は、創始者(または民族)の名称を宗教名に冠していない(即ち、ムハンマド教とならない)。これは、他の主要な宗教とは異なるとされており、この理由には諸説あるが、主な宗教学者の解説によれば、イスラムが特定の人間の意志によって始められたものではないこと、及び国籍や血筋に関係なく全ての人々に信仰が開かれていることを明示するためであるとしている。

 日本を含む東アジアの漢字文化圏では、古くは「回教」と呼ばれることが多かったが、現在はどの国でもイスラームの名に基づく呼称が一般的であり、あまり用いられていない。中国語では現在も一般名称としてムスリムを“回民”と呼ぶ(「ムスリム」を音写した「穆斯林」も使われるようになっている)。

■分布
 今日、ムスリムは世界のいたるところでみられる。異論はあるが、16億人の信徒があると推定されていて、キリスト教に次いで世界で2番目に多くの信者を持つ宗教である。 ムスリムが居住する地域は現在ではほぼ世界中に広がっているが、そのうち西アジア・北アフリカ・中央アジア・南アジア・東南アジアが最もムスリムの多い地域とされる。特にイスラム教圏の伝統的な中心である西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムであり、中にはイスラム教を国教と定め、他宗教の崇拝を禁じている国もある。

 トルコ、東ヨーロッパ、シリア、イラク、エジプト、インド、中央アジアにはオスマン帝国の公認学派であり、最も寛容で近代的であるとされるハナフィー学派(スンニ派)が多い。その他の地域では、イランはジャアファル学派(シーア派)、アラビア半島は最も厳格なことで知られるハンバル学派(スンニ派)、マグリブはマーリク学派(スンニ派)、東南アジア、東アフリカはシャーフィイー学派(スンニ派)が多い。

■国別信徒数

 

 世界に暮らすイスラム教徒(ムスリム)は約16億人。22億人のキリスト教徒に次ぐ多さだ。地図を見ると中東を越えて広がっている。国別では、2億を超すインドネシアがトップで、パキスタン、インド、バングラデシュとアジアの国々が続く。中東の国ではエジプトの約8000万人が最も多い。聖地メッカを抱えるサウジアラビアは約2500万人で、インドネシアの8分の1だ。中国にも約2300万人のイスラム教徒がいる。

 7世紀はじめにアラビア半島で生まれたイスラム教は、約100年後には西はヨーロッパのイベリア半島、東は中央アジアまで広まった。東南アジアで著及したのは13世紀以降で、スーフィ一とよばれる神秘主義者の教団や、季節風を利用したインド洋貿易にたずさわったムスリム商人が伝えたといわれる。 中国とイスラムは7世紀の唐代に出合い、751年に中央アジアのタラス河畔の戦いで中国からイスラム世界に製紙法が伝わったのは有名だ。元の時代には西方から多くのムスリムが渡来し、色目人とよばれてモンゴル人に次ぐ高い地位を与えられた。

 元は13世紀、2度にわたって日本に侵攻しようとしたが失敗。一方、イスラムの広まっていたフィリピンでは16世紀にマゼラン率いるスペイン艦隊が上陸し、キリスト教への改宗をすすめた。日本はユーラシア大陸、東南アジアのどちらからもイスラムが伝わらないまま、17世紀に鎖国政策をとることになる。
(朝日新聞 2014-8-3)


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礼拝

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国連は二重基準…順守しないイスラエルを容認」

 武力行使を容認する新たな国連安全保障理事会決議案がイラク問題で最大の焦点となる中、安保理決議の順守をめぐって「国連は二重基準ではないか」との批判が強まっている。安保理決議違反を理由に、対イラク武力行使を含む「すべての必要な措置」が検討されながら、過去の決議を無視し続けるイスラエルへの「懲罰」は問われないからだ。(中略)

 米政府は、イラクが湾岸危機を引き起こした1990年から計16の安保理決議に違反したと指摘。「国連は単に言葉や希望だけではない」(ブッシュ米大統領)として、イラクに決議履行を迫っている。
 一方、国連活動を監視する非政府組織(NGO)の「グローバル・ポリシー・フォーラム」によると、イスラエルの安保理決議違反は、同国が第三次中東戦争で得た占領地からの撤退を求めた決議242(67年)から計29件に上る。

 こうした指摘について米政府当局者は、米紙クリスチャン・サイエンス・モニターに「イスラエルは民主主義が機能しており、隣国との平和構築を望んでいる。イラクは野蛮な独裁者が隣国を攻撃、自国で大量破壊兵器を使用した」と述べ、決議違反だとしても内容は異なると強調した。
 一方、アラブの国連外交筋は「イスラエルの核兵器保有は公然の秘密。核査察受け入れを要求しないのはおかしい」と主張、「米国に牛耳られた国連には、明らかに二重基準が存在する」と批判した。

(琉球新報 2002-9-30)



「テロリズムとイスラム過激派」

 日本の法律にはテロという犯罪はない。それだけ平和な国といってもいい。しかしテロがないわけではなく、オウム真理教による地下鉄サリン事件は、国際的にも先進的なテロとして有名だ。
 国際的に統一されたテロリズムの定義はないが、テロに関する条約はすでに12以上あり、まだまだ増える見込みだ。つまりテロ行為が一つの国の問題にとどまらなくて、他の国を巻き込むケースが増えてきたことを意味している。(中略)

 アメリカはテロ攻撃の目標になりやすい国だということを自覚しており、テロリストの背後にいるテロ支援国としてイラン、イラク、シリア、リビア、キューバ、北朝鮮、スーダンの7カ国を指定し特別に警戒している。
 このうちキューバと北朝鮮以外は、すべて中東地域の国だ。しかし中東にテロリストが多いという意味ではないので、誤解のないようにしたい。イスラム教の国では一般に犯罪が少なく、神に対するおそれが人々の生活に規律をもたらしていると考えられている。

 中東とテロが切っても切れない関係のように思われている理由は、主に第二次世界大戦後、パレスチナ地域にイスラエル国が建設されたためだ。1948年のイスラエル建国宣言の前から、入植してきたユダヤ教徒(いわゆるユダヤ人)と、土地を奪われると感じた地元民(アラブ人でイスラム教徒)の双方が、武器をとってグループをつくり、相手方を襲撃して殺し合うという歴史が始まった。

 それ以来、イスラエル対アラブ諸国という国のレベルでも第1次から第4次までの中東戦争が戦われた。冷戦終結後の90年代になると、アメリカがイスラエルにとって代わってイラクなどとの対決を主導するようになり(湾岸戦争)、それにともなって反米運動も過激になってきた。

 イスラム原理運動は宗教の復興活動であって、直接に反米と結びつくものではない。イスラム過激派を反米テロに向かわせている原動力は、アメリカ自体の偏りすぎたイスラエルびいきにあるといえよう。

静岡県立大学教授・大礒正美(琉球新報 2001-10-23)



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