イスラム教

4.教義・戒律
■六信五行
 イスラム教の信仰の根幹は、六信と五行、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。六信は、次の6つである。

「六信」・・・・・基本的な6つの信仰
 神(アッラー)=全知全能の神、世界の創造者
 使徒(ルスル)=神と預言者の仲介者(ガブリエル、ミカエルなど)
 諸啓典(キターブ)=律法(モーセ)、諸篇(ダビデ)、福音書(イエス)、クルアーン(ムハンマド)
 預言者(ナビー)=重要な預言者は、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマド
 来世(アーヒラ)=最後の審判があり、義人は天国にいけるる
 天命(カダル)=定められた運命、神の意志を感得してゆだねる

 このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが神(アッラー)と、使徒(ルスル)である。ムスリムは、アッラーが唯一の神であることと、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこととされている。
また、ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行(五柱ともいう)は、次の5つとされている。

「五行」・・・・・信徒が守るべき義務
 信仰告白(シャハーダ)=「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」を常に証言する
 礼拝(サラート)=毎日5回、メッカの方角を向いておこなう(暁、正午、午後、日没直後、就寝前)
 喜捨(ザカート)=財産に応じて献納する
 断食(サウム)=イスラム歴(太陰暦)第九月におこなう1ヶ月の断食(日の出前から日没まで)
 巡礼(ハッジ)=一生に一度メッカへの巡礼

 これに、奮闘努浴(ジハード)を6つめの柱として加えようという意見もあるが、伝統的には上の5つである。
 これらの信仰行為は、礼拝であれば1日のうちの決まった時間、断食であれば1年のうちの決まった月(ラマダーン、ラマダン)に、すべてのムスリムが一斉に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うことにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同体の一体感を高めている。集団の一体感が最高潮に達する信仰行為が巡礼(ハッジ)であり、1年のうちの決まった日に、イスラム教の聖地であるサウジアラビアのマッカ(メッカ)ですべての巡礼者が定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験する。

■偶像崇拝の禁止
 イスラームにおいては偶像崇拝の禁止が徹底されており、それゆえ、ムスリムが礼拝をおこなうモスクには、他宗教の寺院や聖堂とは異なり、内部には宗教シンボルや聖像など偶像になりうる可能性が存在するあらゆるものがない。ただ、広い空間に絨毯やござが敷き詰められているだけで、人びとはそこでカアバがあるメッカの方角(キブラ)をむいて祈る。モスクには、メッカの方角の壁にミフラーブと呼ばれるアーチ状のくぼみがあり、ムスリムはそれによってメッカの方向を知るのである。

 写本絵画などにおいては、預言者ムハンマドの顔には白布をかけて表現されることが多いが、これも偶像崇拝を禁止するイスラームの教義に由来している。

■預言者ムハンマド
 「イスラーム」とは、唯一神アッラーへの絶対服従を意味しており、モーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)も預言者として認めている。ただし、イエスもムハンマドもあくまで人間として考えており、それゆえ、イスラーム暦の元年はムハンマド生誕の年ではなく、西暦622年にメディナにウンマ(イスラーム共同体)ができたヒジュラの年を元年にしている。

■信徒間の平等
 イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されており、それゆえ、イスラーム社会では、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級をもたない。宗教上の指導者を有するのみである。信徒間の平等は、五行のうちの「喜捨」などの実践にもみられる。歴史上では、アラブ人優先主義を採用したウマイヤ朝の支配のなかからアッバース革命が興起してアッバース朝の成立をもたらしたのも、平等主義を掲げたイスラームの教義によるものであった。

■イスラームにおける天国
 イスラームにおける天国は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。キリスト教と異なり、イスラム教の聖典『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。イスラームでは男性は天国で72人の処女と関係を持つことができる。永遠の処女とされる。また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。

 『ジハード』に関しても、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。しかし、これらの描写は比喩的なものに過ぎないという意見もある。また、処女とは間違いで、実際は白い果物という意味だという説もある。650年頃に編纂されたコーランの書かれた地域のアラビア語の方言と、現在使用されているアラビア語では、意味が違ってくることを理由としている。

■タウヒード
 タウヒードとは、イスラームにおける一神教の概念である。イスラームにおいて、タウヒードは〈一化の原理〉を意味すると同時に、世界観と存在論、すなわち価値観の根本である。タウヒードの反対の概念は、シルク(shirk、多元性)である。
 イスラームにおける唯一神(アッラー)の存在は絶対であり、この理由のために、ムスリムは、キリスト教世界で信奉されている三位一体説を否定する。

 クルアーン(アル・クルアーン)において、タウヒードは随所に言及されている。また、「アッラーのほかに神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という文節は、サラートとして知られる1日5回の礼拝において引用される。 

 スンナ派、シーア派ともに一致しているのは、イスラームにおける最重要な概念であるタウヒードがこの絶対で完全なる創造者を受け入れるということで展開されているということである。ムスリムは、「アッラーのほかに神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白(シャハーダ)を公に唱えることによってムスリムとなり、かつ、自らの信仰を絶えず、再確認することとなる。

■ジハード
 ジハードは、イスラームにおいて信徒(ムスリム)の義務とされている行為のひとつ。ジハードは本来、「努力」「奮闘」の意味であり、ムスリムの主要な義務である五行に次いで「第六番目の行」といわれることがある。日本では一般に「聖戦」と訳されることが多いが、厳密には正しくない。

 ジハードは、『クルアーン』に散見される「神の道のために奮闘することに務めよ」という句のなかの「奮闘する」「努力する」に相当する動詞の語根 jahada (ジャハダ)を語源としており、アラビア語では「ある目標をめざした奮闘、努力」という意味である。この「努力」には本来「神聖」ないし「戦争」の意味は含まれていない。しかし、『クルアーン』においてはこの言葉が「異教徒との戦い」「防衛戦」を指すことにも使われており、これが異教徒討伐や非ムスリムとの戦争をあらわす「聖戦」(「外へのジハード」)の意に転じたのである。

 したがって、「聖戦」という訳語は、ジハード本来の意味からすれば狭義の訳語ということができる。



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