キリスト教


9.歴史
 イエスの死後、パウロにより「イエスの死は、人類の罪を救うためであった」とする考え(贖罪論)が生み出され、世界宗教として異邦人(ギリシャ、ローマ)の間に広まっていきました。
 ローマ帝国は、はじめキリスト教を迫害しましたが、後にこれを政治的に利用して国家の安定を計ろうとしました。313年に公認され、やがて国教となりました。異端対策として、381年に三位一体論が確立しました。

 ローマ帝国は、395年に東西ローマ帝国に分裂し、同時に東西教会の対立も深まっていきました。西ローマ帝国は476年に滅びるが、西方教会(ローマ教会・ローマカトリック)は広くヨーロッパに勢力を伸ばしました。東方教会(ギリシャ正教)は、イスラム教の影響で次第に衰退していきますが、1054年に東西教会は完全に分裂しました。(東ローマ帝国は1453年オスマン・トルコにより滅亡)。中世のキリスト教はヨーロッパ文化の基礎を築きました。

 1095年にはじまった十字軍の遠征は、計8回行われましたが、結局失敗に終わり、ローマ法王の権威を低下させました。またカトリック教会は土着信仰を弾圧するため、異端審問を行い、15世紀中頃には魔女狩りが本格化しました。十字軍の遠征


パウロ

十字軍

魔女裁判









 16世紀はじめ、マルチン・ルター(1483〜1546)は、ローマ教皇の免罪符の販売に反対し、宗教改革が始まりました。ルターは「信仰のみ、聖書のみ、すべての信徒が司祭である」をとなえました。主としてアルプス山脈以北の諸国にプロテスタント(抗議する者)が成立しました。ルターは教会よりも聖書を重視し、はじめてドイツ語の聖書を完成させました。活版印刷の普及と重なり、キリスト教の近代化がはじまりました。

 ルターたちは商業や実業を卑しいものと考ず、プロテスタントの国アメリカで資本主義が発展した理由もここにあります。なお、ルターが法王庁と断絶した後、真っ先にやったことが結婚でした。
 これに対し、カトリック教会はイエズス会という強力な軍隊によって、プロテスタント排撃運動と世界布教を行いました。両派の宗教戦争は約1世紀にわたって続けられました。

 18世紀以降の啓蒙思想や科学の急激な進歩、マルクス主義の台頭は、非キリスト教化の傾向を推進させました。また19世紀以後の聖書の文献学的研究により、神の言葉として崇められてきた聖書の成立事情が明らかにされ、その絶対性が失われていきました。時代の変化に伴い、特にプロテスタントの中にさまざまな宗派が生まれました。

 ヨーロッパのキリスト教が、常に保守的であり、国教としての性格をもっているのに対し、アメリカのキリスト教は次のような特色がありまる。第一は、多数の教派であり、ヨーロッパから各派が渡来し、それぞれ植民地を開拓して独立の教団を形成していきました。第二は、自由な精神が既成の教派をさらに分裂させました。第三は、多くの新興セクト(モルモン教、エホバの証人など)の誕生です。


ルター

イエズス会

アメリカ移住

9.11同時多発テロ








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