魔女と産婆



 数世紀前までヨーロッパ人は魔女(Witch)の実在を信じていました。大きな鍋で薬草を煮、杖に乗り、夜な夜なサバト(集会)に出席する悪魔(Satan)の手下として。

 「Satan」はもともとヘブライ語ですが、「Witch」はアングロサクソン語の「wicce」から。Wicce はねじ曲げる、変化させる、魔術を行うという意味のインド=ヨーロッパ語系の言葉。古代スカンジナビア語のvitki (魔法使い)とも関連しているとか。

 魔女や魔法使いのルーツを、キリスト教によって排除され歪められたスカンジナビアないしはケルト系の土着の呪術・信仰に求める説は有力ですね。そう言えばハリー=ポッターが通った魔術の学校もケルト文化圏のエジンバラにありました。
 しかし魔女に具体的なイメージを与えたのは、中世ヨーロパで「産婆」として活躍した女性たちでした。まだ医者という専門職がなかった時代、彼女らは村人の出産を助けただけでなく、病を治し心を癒しました。イギリスでは「Midwifery」と名付けられ、フランス(sage femme)やドイツ(weise frau)では「賢い女」と呼ばれました。

 彼女らの治療法は薬草を使うもの。教会が「産みの苦しみはイヴに下された正当な罪」などと言っていたとき、彼女らは陣痛に麦角(ergot)を利用しました。ジギタリス(digitalis)は今でも心臓疾患の治療に欠かせませんが、もともと彼女らの薬草リストの一つ。真夜中に薬草を摘みに出かけたのも、明け方の植物が一番薬草として効果が高いことを経験的に知っていたから。

 彼女たちはその有能さゆえ、周囲から神秘的でマジカルな存在と見なされるようになりました。「賢い女」たちは尊敬されると同時に恐れられるようになりました。教会もまた、彼女らが調合する薬草の効果があればあるほど脅威に感じました。そしてある時村に天災が襲い、作物の不作が続くとそれは彼女らの「魔術」のせいではないかと考えるように。

 『魔女の槌』(魔女裁判の手引き書)は「教会にとって産婆ほど有害なものはない」と説きました。魔女狩りの最初のターゲットが「産婆」たちだったことはよく知られています。13世紀にイスラム世界から医療教育が伝わり、医療の専門職が男性によって独占されると、産婆たちは真っ先に火あぶりにされました。

 彼女らは歴史から抹殺された哀れな女性たちで終わったのでしょうか。いいやそうではありません。自然の声に耳を傾け、鋭い直感で人の心と体を癒した彼女らの生き方は、薬剤師、ヒーラー、アロマテラピスト、占い師として現代に受け継がれているのではないでしょうか。

※『魔女・産婆・看護婦』(B.エーレンライク他著 法政大学出版局)を参考にしました。

(目で見る世界史)



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