ペストが中世を終わらせた



 「世界史を動かす」という形容がふさわしい感染症はペストであろう。ビザンチン帝国における540年の「ユスチニアヌスの疫病」と呼ばれたペストの大流行で古代が終わり中世となった。1096年から1270年にわたる十字軍が欧州にクマネズミを呼び込んでペスト流行の下地を作った。

 なぜならこの種のネズミに寄生するノミの腸管にペスト菌が潜んでいるからである。そして英仏百年戦争の最中、1348年からの50年間、欧州は「黒死病」に襲われた。すさまじい人口の減少を引き起こし結果的に農奴解放がおこなわれ、ペストが中世を終わらせたのである。また、教会や信仰が黒死病に対して無力であったため、教会の権威は落ち、後世の宗教改革へつながってゆく。

 15世紀は大航海時代である。西インド諸島から早々と梅毒が持ち込まれ、性的に寛容だったため、またたく間に欧州に梅毒が広まった。宮廷で流行ったカツラは梅毒による脱毛を隠すものだった。有効な治療法がなかったので惨いものだった。こうして宮廷を飾り後世に名を残した作曲家・詩人ら多くの文人が梅毒で死んだ。ただし文人ゆえロマン的な「肺結核」へと死因が変えられることが多かった。シューベルト、ベートーベン、ハイネ、ニーチェ、ロートレック、etc。新教である清教(ピューリタン)は、梅毒にならぬよう純潔教育をすることから発展した思想であった。
 (感染症は世界史を動かす 岡田晴恵 ちくま新書)
 
(WEB:モナ丼)

【ペスト】
 ペストとは、人間の体にペスト菌(腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が入ることにより発症する病気。
 日本では感染症法により一類感染症に指定されている。ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行する病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。

 ノミ(特にケオプスネズミノミ)がそうしたネズミの血を吸い、次いで人が血を吸われた結果、その刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込んだりする事で感染する。人間、齧歯類以外に、猿、兎、猫などにも感染する。
 かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。

(中世ヨーロッパにおけるペストの伝播)
 472年以降、西ヨーロッパから姿を消していたが、14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生した。当時、モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。1347年10月(1346年とも)、中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したとされる。

 1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の三分の一から三分の二、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。

 1377年にベニス(ベネツィア)で海上検疫が始まった。当初30日間だったが、後に40日に変更された。イタリア語の40を表す単語からquarantine(検疫)という言葉ができた。
 1629年10月ミラノに黒死病が到達した時に検疫の重要性が明らかになった。1630年3月のカーニバルのために検疫条件を緩和した結果、黒死病が再発し、最盛期には1日3,500人が死亡した。

 イギリスでは労働者の不足に対処するため、エドワード3世がペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めた(1349年)ほか、リチャード2世の頃までに、労働集約的な穀物の栽培から人手の要らないヒツジの放牧への転換が促進した。
 1665年〜1666年に、ロンドンで大流行が起こり、最盛期には1日に6,000人が死亡している。
(Wikipedia)



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