アレフ
開 祖
 村岡達子
設 立
 2000年
崇拝対象
 ?
経 典
 ?
本拠地
 ?
信者数
 ?


開祖=村岡達子

本部

シンボル


概略
 アレフ(Alephあれふ)は、2000年2月4日に発足した宗教団体。オウム真理教からアレフと改称して発足し、2003年2月にアーレフに改称、さらに、2008年5月にはAlephに改称した。なお、アーレフないしアレフとはヘブライ文字の第一文字の名称である。なお日本国では、宗教法人として認証をされていない。

 1999年頃より、一連の事件に対して全く反省していないオウム真理教に批判が集中した。これにより、オウム新法が制定されることになった。
 1999年9月29日、教団は、批判に対応した措置として、対外的な宗教活動の休止と教団名の一時使用停止からなる「オウム真理教休眠宣言」を発表し、さらに同年12月1日、教団は新法逃れのために「正式見解」を発表、事件の関与を認め謝罪し、賠償を行うことになった。しかし、その直後にオウム新法は成立し、公布・施行された。

 時同じくして1999年12月29日、上祐史浩は広島刑務所を出所し、教団に復帰した。上祐は「正大師」の称号を返上したとされ、2000年1月18日に教団は会見を開き、上祐の謝罪・反省の弁と村岡代表代行による教団改革の発表を行ったが、時既に遅く、教団はオウム新法の観察処分に処されることになった。ともあれ、発表された教団改革の内容にあわせ、2000年2月に新団体「宗教団体・アレフ」が発足され、教団の活動はアレフへと移行した。アレフの初代代表には、麻原逮捕後からオウム真理教代表代行を勤めてきた村岡達子がそのまま就任した。

 2000年9月14日の公安調査庁によるアーレフ施設の立入検査にあたっては、教団と関係の深いフリージャーナリストに検査の動向を撮影させるなど、当初は立入検査における妨害行為や敵対行為もあった。

関連年譜
■上祐史浩の代表就任
 上祐は教団復帰直後の新団体「アレフ」発足においてこそ教団役員にならなかったが、唯一の「正大師」という立場を背景に実権を握った。2001年8月に「旧宗教法人問題担当」として役員に就任したのち、2002年1月30日に正式にアレフ代表に就任した。
 上祐史浩は、組織防衛のために「麻原外し」路線を推進、麻原を「開祖」「尊師」ではなく、「旧団体代表」と定義し、麻原の肖像を本尊とすることを禁じた。この方針に、麻原を崇拝する多くの信者が反発することになった。

 なお、2003年2月に団体名を、ファミリーレストランの「びっくりドンキー」等を展開する「株式会社アレフ」との誤認を避けるため「アーレフ」に改称した。

■上祐「失脚」と復帰、その後の内部対立
 2003年夏頃になると、上祐史浩の路線に対する不満が顕在化し、同年10月に上祐は「修行に専念(事実上の失脚)」することになり、教団の運営は旧長老部の手に移ることになった。
 2004年11月になって教団運営に復帰したが、反上祐派との対立は深まるばかりで、教団の分裂状態が加速されていった。

 2006年5月には、上祐が「人を神としない、新教団を2007年2月までに作る」ことをセミナーで宣言した。2006年7月には財政面、実務面ともに教団本体からの分離分裂が行われた。その間、麻原夫人の松本知子一家に対して「松本知子作の絵画の使用料」名目で教団が資金援助を行っていたこと、松本一家が間接的ながらも教団に影響力を与えており、そのことが上祐派の排除に繋がっていることが明らかになった。

■上祐派「脱会」とさらなる内部対立
 2007年5月7日、上祐史浩は新団体「ひかりの輪」を設立し、アーレフから完全に脱会した。これに伴って公安調査庁に提出された報告書によれば「ひかりの輪」は上祐史浩を代表役員に据え、主流派(反上祐派)は上田竜也・杉内伸浩を共同幹事とした 。
 上祐派脱会後も内部対立は続いている。新代表の野田成人は主流派から完全に無視されており、杉浦兄弟は脱会、村岡達子も実質的運営から排除され、現在では「師」レベルの主流派幹部が実権を握っている。

■事件以前の教義への回帰
 2007年9月30日、『JNN報道特集』においてアーレフへの長期潜入取材による特集が報道された。フリージャーナリストが2006年から2007年8月にかけて潜入して撮影した映像を主体としたものであった。
 そこでは、上祐派脱会後に教団内で麻原信仰が強化され、麻原彰晃を教祖・グルとして信仰し教育していくむねの教団幹部の発言や、アーレフ発足時に封印したはずのタントラ・ヴァジラヤーナやポアについて麻原が説法するビデオが教材として用いられている様が報じられた。

 また、ヘッドギアを使用する信者の映像も報じられた。これらの映像をもとに滝本太郎弁護士や公安調査庁の担当課長による危機感を表明するインタビューが併せて放映され、また、野田成人は教義におけるタントラ・ヴァジラヤーナの復活について、制止するだけの実権がないとして、報道を歓迎するむねコメントした。一方、野田から実権を握ると名指しされた荒木浩広報部長は取材を拒否した。

■「Aleph」への改称と新体制発足
 2008年5月20日、教団は名称の Aleph への改称、および旧役員に代えて合同会議による教団運営を主要な内容とする新体制発足を発表した。合同会議は運営委員会が主宰し、その共同幹事である上田竜也と松下孝寿が教団を対外的に代表するとしている。さらに、これまで新代表を名乗ってきた野田成人に対し、教団役員の地位の失効と代表地位の無効を通告した。
 新体制発足により、活動方針には麻原回帰の傾向がみられるとして公安当局は警戒しているという。

■勢力拡大と原点回帰
 2011年11月17日、アレフが公安調査庁に報告した信徒数が1000人を超えたことが明らかとなった。公安は「事件を知らない若い入会者の伸びが目立つ」と指摘、警戒している。さらに、アレフは麻原彰晃死刑囚の「生誕祭」を祝い、肖像を掲げるようになっている他、以前の修行法や教本も復活させるなど原点回帰も鮮明になっている。公安調査庁の立入検査には非協力的で、2013年には公安調査官や警察官、弁護士など敵対する者の写真を複数枚重ねて、日本刀を模したナイフで串刺しにしたものを祭壇に置くなどしていた。

現況
 2013年7月1日公安調査庁の発表によると、ひかりの輪と合算した信徒数は2011年10月の1500人から1650人と約10%増加し、2000年の信徒数まで戻した。ただし出家信徒は、組織統制の強化に伴う組織運営に不満を持つ者などが多数脱会したことなどから、減少傾向にある。またAleph側によると、信徒数はこの間減少しているが、公安調査庁は退会者(Aleph、光の輪どちらにも属していない)であっても、偽装退会と見なした人員を信徒数に計上しているとのことである。Alephの最近の勧誘方法は以下のようなものがある。

1、大学構内の掲示板上にて大学非公認のサークルの案内として掲示し、さらに学生に対して声かけを行う。
2、インターネットのSNSなどを利用し、宗教、ヨーガ等に興味を持つ者と接触を試み、教団名を隠して接近し教団が運営するヨーガ教室に誘い出す。
3、信徒の親族に対し、入会するよう執拗に説得を試みる。

その他


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