末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)
開 祖
 ジョセフ・スミス・ジュニア
設 立
 1830年
崇拝対象
 イエス・キリスト
経 典
 モルモン書、聖書
本拠地
 米国ユタ州ソルトレイクシティ
信者数
 1380万人


開祖=ジョセフ・スミス

本部

シンボル


1.概略
 末日聖徒イエス・キリスト教会(まつじつせいと、Church of Jesus Christ of Latter-day Saints; LDS.)は、1830年アメリカ合衆国にてジョセフ・スミス・ジュニア(1805年〜1844年)によって立ち上げられた新興宗教。本部は、アメリカ合衆国ユタ州のソルトレイクシティ。

 宗教学上はキリスト教の新宗教に分類されている。伝統的な立場にあるカトリック・プロテスタント・正教会では公式サイトにて一致して異端と表明している。一般的には、モルモン教会、あるいはモルモン教として知られており、モルモン崇拝をしているのかという誤解もあるが、その理由は「モルモン書」という古代アメリカ大陸で記録された書物が「イエス・キリストについてのもう一つの証」として「聖書」と共に聖典として信じられているからである。

 2010年8月現在、教会の公式発表では全世界に1380万人の会員を擁する。(ただしバプテスマとよばれる洗礼を受けていない8歳未満の末日聖徒家族の子供も含めた数)。そのうちの14%はユタ州に住み、教会員の半数以上はアメリカ合衆国外に居住している。歴代16代目の教会の最高指導者は、トーマス・スペンサー・モンソン。

2.開祖
【ジョセフ・スミス・ジュニア】1805年〜1844年
 ジョセフ・スミス・ジュニアは、1805年にバーモント州ウィンザー郡シャロンで、ジョセフ・スミスとルーシー・マック・スミスの間に生まれた。ジョセフの先祖は1600年代にイングランドから移住してきた移民であり、米国東部ニューイングランド地方で5世代続いた家系であった。彼には10人の兄弟姉妹がいた。両親は信仰深く、ジョセフはキリスト教的な環境で育てられた。

 当時、ニューヨーク州では、キリスト教の各宗派が対立し、会員獲得のための争いが起こっていた。14歳だった少年ジョセフはどの教会に加入するべきか迷い、正しい教会がどれであるか知りたいと願った。。
 ジョセフは聖書に答えを求めて、「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」(ヤコブ1:5)という一節を見つけ、神に尋ねる決心をした。

 ジョセフは、1820年の春、近くの森に行き、ひざまずいて祈ったところ、神より示現を受けたと主張している。
 ジョセフの主張によると、示現の中で、父なる神とイエス・キリストがジョセフ・スミスに現れ、イエスははジョセフに「すべて間違っている」ため、どの教会にも加わらないように告げられ、イエスと使徒の死後、長い間失われていた「神権」(儀式を行うための神の権威)と「教義」を回復するためにジョセフが神から選ばれたとされている。


示現

 1829年、23歳になったジョセフ・スミスの元にバプテスマのヨハネが現れ、ジョセフ・スミスと同僚のオリバー・カウドリにアロン神権(洗礼を行う権威)を授けたとされている。またペテロ、ヤコブ、ヨハネが現れ、ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにメルキゼデク神権を授け、初期のキリスト教会と同じ権威を回復したと言われている。そして1830年、同じ神権の権能により、初期のキリスト教会と同じ組織が回復されたとされている。

 ジョセフは、天使より授かったとされる金版の書を元に、1823年9月21日から教典である『モルモン書』を著している
 1826年3月20日、詐欺罪で有罪判決を受ける。
 1827年1月18日、エマ・ヘイルと結婚。
 1830年3月26日、モルモン書がニューヨーク州パルマイラで発行された。

 1830年4月6日、当該教会がニューヨーク州フェイエットタウンシップでジョセフ・スミスを含む6人を代表として創設された。
 1831年、教会の本部をオハイオ州カートランドに移す。1838年、現在の当該教会の名称となる。
 1839年、教会の本部をイリノイ州ノーヴー(ヘブライ語で「美しい所」の意とされる)に移す。

 1840年台初期、当初彼らを好意的に見ていた近隣住民だったが、モルモン教会の排他性や結束の強さが、既存住民の脅威になるのではという危機感と、うらみを抱くようになる。
 モルモン教会から脱会した人物がジョセフ・スミスに対抗するため新聞を創刊し、モルモン教会のさまざまな汚点を追求。スミスはモルモン教支配下の警官を動員し、武力を持って印刷機を破壊した。しかしこの件でスミスは反逆罪の容疑で逮捕・収監される。
 1844年6月27日、武装し、暴徒と化した住民に監獄を襲撃され、ジョセフ・スミスとハイラム・スミス(スミスの兄)は殺害された。

3.歴史
■開拓者時代=迫害を逃れて米国西部への移住と拡張
 1846年、末日聖徒の一団はイリノイ州よりアメリカ西部への移動を始める。1847年7月24日、ブリガム・ヤングと末日聖徒の一団がソルトレイク盆地に到着する。以後この地に定住する。同時に教会の本部もソルトレイクとなる。
 1857年9月11日、「マウンテンメドウの大虐殺」(教団の一部による開拓団への虐殺事件)が発生。これをきっかけにユタ戦争(米国陸軍と教団との戦争)が勃発した。
 1858年、戦争は和平を模索する形で終結し、虐殺事件の首謀者らは取引として政府に引き渡され、全責任を負う形で絞首刑にされた。
 
■世界への伝道開始=ユタ戦争を決着し、世界に向けて伝道開始
 米国、ヨーロッパ、太平洋地域(ポリネシア、オーストラリアを含む地域)に組織が拡大する。

4.経典
■モルモン書
 古代アメリカ大陸に実在したとされる預言者モロナイの示現を受け、ジョセフ・スミス・ジュニアが実際に掘り起こしたという金の版でできた書物を翻訳したものとされている。1830年3月26日に最初の版が出版された。
 それは古代ヘブライ語(改良エジプト文字)であり、3分の1が神の力の助けにより英語に「翻訳」されたとされ、「モルモン書」と名づけられた。そして、その金板はモロナイに戻され、天に保管されているという。

■聖書
 「正確に翻訳されている限り神の御言葉と信じる(信仰箇条より)」と注釈つきで聖書を聖典としている。なぜなら、長い歴史の間に学術解釈・悪意・過失によって一部の書き換え、あるいは消去された個所があり、そのために基本的な教義がわかり難くなったり色々な解釈に分かれてしまったからとされている。 英語圏ではKing James Version(欽定訳)、日本語では日本聖書協会の口語訳聖書を使用。モルモン書は、聖書の教義を助け、ならってイエス・キリストの存在と神聖についての証言としており、当該宗派の「かなめ石」的な存在であるとされている。

■教義と聖約
 ジョセフ・スミス・ジュニア、ブリガム・ヤング、ジョセフ・F・スミス等に与えられた啓示の他、二つの「公式の宣言」を収録。

■高価な真珠
 ジョセフ・スミス・ジュニアにより翻訳された「聖書」の抜粋、古文書より翻訳されたアブラハムの記録、教会草創期におけるジョセフ・スミス・ジュニアの記録の抜粋、信仰箇条等を収録。これらの聖典は「過去の啓示」であると定義し、現代の預言者(狭義の預言者=大管長)の公式の発言は「現代の啓示」とされる。

5.教義・崇拝対象
■神権の回復
 ジョセフ・スミス・ジュニアによれば、彼は14歳の時(1820年)、当時の教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、新約聖書ヤコブの手紙一章5節を読み、どの教会が真実であるかを神に祈り求めたところ、神とその愛する子イエス・キリストを見、言葉を交わしたとされる。

 スミスによれば、その一人が「(既存の)いずれも教会もことごとく誤っているため、汝はどの教会にも加わってはいけない」、さらに「彼ら(既存の教会)の信条はにくむべきものであり、それを口にする者はことごとく腐敗している。彼らは口では神に近いと言うけれど、心は遠い」と告げられたという。イエス・キリストの教会を再び地上に回復するために神から召されたとされる。

 教会の信条によると、回復が必要であったのは、イエス・キリストと12使徒(イエスの弟子)の死後、神の神聖な儀式を行うための神権(神の権能)が地上から失われており、完全なる教義や儀式も聖書の人の解釈によって失われていたからだとされている。神権は1832年のサスケハナ川のほとりで、イエス・キリストの弟子であるヨハネ、ペテロ、ヤコブがジョセフ・スミスとオリバー・カウドリーに天使として現われ按手により再び回復されてからいまだに受け継がれており、そのことによりジョセフ・スミスから生ける預言者による神の啓示は続いていると信じている。

 通称の「モルモン教」という名前は教典とするモルモン書から由来しており、書の名前である「モルモン」とは古代アメリカ大陸に住み、当時の民の歴史を記録し、要約した預言者の名前であると信じられている。ジョセフスミスはこの書物を改良エジプト文字から英語に翻訳したとされ、1830年に発行された。

父なる神とイエス・キリストと聖霊
 創始者ジョセフ・スミスは「教えの全ては、イエス・キリストが、私達の為に十字架にかけられ、3日後に復活され、今日も生きていると言うことだ。他の全てのものは附随的なものに過ぎない」と発言したことがある。 多くのキリスト教派では、父なる神とイエス・キリストと聖霊は同一の存在(三位一体)であるとし、常に一致して事をなす、と信じられている。

 当該教会では、完全なる肉体を持つ天の父なる神と、その長子イエス・キリストと、霊体でありイエスをキリストと証明する聖霊とを信じ、父なる神とイエス・キリストと聖霊はそれぞれ別個の存在であって、人類の救いという目的の為に一致しているとされている。

 アダムの咎は、神が与えた自由意志の結果であり、人類を生ずるために神の目に適った行いであった。 この咎によって堕落が生じ、この世に不完全さと死がもたらされ、すべての人は自分の行いにより真理を学ぶ機会を与えられた。 イエスはアダムの咎の責任と、万物の不具合を埋め合わせるために死をもって贖いを完成し、キリストとして人を父なる神にとりなす者となった。人の救いに関しては、思いと行いによって、全人類はイエス・キリストによって相応に裁かれると信じている。

 神の国に入った者は互いに助け合って永遠に成長する機会が与えられる。その中には神格が与えられる者も出る中、自ら罪の懲らしめを受けるが、サタンの影響に耐え切れず取り残される者もあるという。生のあるうちに教団の教えを聴く機会のなかった者でも、来世においてそれを聞く機会が与えられ、死後でも、イエス・キリストを受け入れるかどうかは本人の選択の自由に任せられ、選ぶことの出来る期間が与えられていると信じられている。

■来世観
 人は死ぬと霊となって存在し、キリストについて悟る猶予の時間が与えられる。やがてこの世に生を受けた全ての人間は復活し、「神の裁きの法廷」に立たされる。人間は、これまでの思いと行いによって裁かれて、神の国に入るか、「外の暗闇(滅び)」に取り残されるかが決定される。

 誰もが人生のどこかで罪を負っており、法廷に立った時点でキリストとの契約が有効である者は、キリストの情状酌量(贖い)が受けられ、神の国に入ることが許される。 契約が有効でない者は罪ありとされ、「外の暗闇」に取り残され、サタンに支配される。(魂が消滅することはない。) これが教会の教義の根幹となっている。

 さらに、神の国は「日の栄」「月の栄」「星の栄」に分かれており、それぞれ「神」「キリスト」「聖霊」が管理する国となっている。 裁きによって分けられた住人はそれぞれの管理者に従う天使となって働く。 星の栄は月の栄に従属し、月の栄は日の栄えに従属しており、全員で神の計画を実現する働きをする。

 「日の栄」は三つに分かれておりその一つは「昇栄」と呼ばれ、そこに行った者のみが神の位を受ける。そのためには教会が認めた者からバプテスマを受け、また諸々の教会の戒めを守り、神殿結婚を含む必要な全ての儀式を受けることが条件とされる。「月の栄」は日の栄えには劣るものの、イエス・キリストの教えに従う者が行くところである。「星の栄」はイエス・キリストの教えに従えないものの、聖霊の導きを否定しない者が行くところである。(教義と聖約131章)

■一夫多妻
 創始者ジョセフ・スミスは、教義として、一部の指導者は神により多妻を認められているとし、教会員は一夫多妻を実施していた。これは当時の倫理感から一般市民の強い反発を招いた。その後合衆国にて一夫多妻を違法とし、一夫多妻者の移民を禁止する法律ならびに、一夫多妻を指導する宗教の財産を没収するという、モルモン教を対象とした法律(Edmunds-Tucker Act :エドモンド/タッカー令)等が成立すると、教会は信教の自由を根拠に裁判で争ったが敗訴し、破産の危機に陥った。

 当時の大管長、ウィルフォード・ウッドラフは、一夫多妻の停止を決断し、啓示によるものとして宣言する。この宣言は一部の信徒達の離反を招くことになり、一夫多妻を存続させるモルモン原理派が分派する原因となった。主流派である末日聖徒イエス・キリスト教会は現在一夫多妻制を実施しておらず、行う者は破門すると警告している。
 以上の経緯から現在一夫多妻を実施している集団は、モルモン主流派である末日聖徒イエス・キリスト教会とは団体的な関わりはないとされる。

6.活動・機関誌
 数多くの宣教師(約5万5千人)が166カ国で伝道活動を行っていることが教会の国際的な成長の理由として挙げられている。2006年には、教会員の半数以上がアメリカ外に居住していることが報告された。
 専任宣教師は外見や服装について厳しい基準が設けられており、伝道活動中は基本的に2人組で行動するという特徴がある。末日聖徒の多くの家庭は、小さい頃から神と人に仕えるだけの宣教活動へ貯金している。世界には約350の伝道部があり、日本には5つある。

 専任宣教師となるためには、若い男性であれば19歳以上で2年間、女性では21歳以上で1年半とされており、原則として実費である。多くの宣教師は、大学を休学したり、高校卒業後に資金をためる為にバイトや仕事をするものが多い。宣教師は自分で任地を指定しないが、日本には英語圏からの宣教師が多いことから、地域への奉仕として無料英会話教室が実施されている場所が多い。

7.行事

8.施設・関連団体
 2010年8月現在、全世界で約2万8500箇所の礼拝施設を構え、日本国内には約340箇所ある。また、神の儀式を執行するとされる神殿は世界に130あり、日本には東京と福岡にある(札幌にて建設予定)。2001年のニューヨーク市立大学の調査では10位に留まると推定しているが、合衆国の宗派としては4位の規模としている。

9.著名人
 オズモンズ
 ケント・ギルバート
 ケント・デリカット
 スティーブ・ヤング
 グラディス・ナイト
 エイミー・アダムス
 A・J・クック (海外ドラマクリミナル・マインド レギュラー出演) 
 岸 信子
 斎藤こず恵
 斉藤由貴
 田中 清(手話通訳者)、NHK手話ニュース・キャスター
 糸数慶子(参議院議員)

10.その他
■開拓期を象徴する宗教
 この宗教は、アメリカ合衆国建国(1776年)、合衆国憲法制定(1789年)、憲法修正第1条〜第10条制定(1791年)、憲法修正第1条では、宗教・信条の自由が史上初めて権利として認められた合衆国草創期に設立され、西部への入植の歴史があることから、「開拓期を象徴する宗教」とも言われる。

■ユタ戦争
 1857年9月11日、アーカンソー州からカリフォルニア州を目指し移動していた開拓団が、ソルトレイク郊外に滞留した。その時、教団の中に「開拓者一行の中に初代教祖を殺害した者が居る」というデマが流布された事から、教団の一部が武装蜂起して、滞留地の開拓民を襲撃して殆どを虐殺した。これがマウンテンメドウの虐殺とされる事件である。

 アメリカ陸軍はこれをうけて、教団に対して攻撃を開始、戦闘状態に陥った。この交戦をユタ戦争と呼ぶ。当時のソルトレイクは補給が困難な辺境であり、連邦政府が組織したアメリカ陸軍も教徒側の反撃に苦戦。決定打を欠く中、冬に近づき、孤立を避けるために後方への撤退を余儀なくされた。この撤退を以て、アメリカ陸軍が敗北したという歴史家の見解もある。

 翌1858年、両者の間で和平の模索が進められ、教団が連邦政府が派遣する準州の知事を受け入れる事、政府側が戦争に荷担した多数の信者を処罰しないという妥協を見た。戦争は終結したものの、連邦政府によりマウンテンメドウの虐殺の解明と責任は追及された。虐殺の主導者は長らく教団に匿われていたが、教団と政府の和解が進む中、全ての責任を負わされる形で逮捕され、虐殺事件の発生地で銃殺刑にされた。

 教団側は、非教徒(連邦政府)との軋轢の解消に努め、1890年には、軋轢の主因となっていた一夫多妻制を自主的に中断した。 


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