クリシュナ意識国際協会
開 祖
 A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ
設 立
 1966年
崇拝対象
 クリシュナ
経 典
 バガヴァッド・ギーター?
本拠地
 ?
信者数
 ?


開祖=プラブパーダ

本部

シンボル


1.概略
 クリシュナ意識国際協会(ISKCON)とは、クリシュナを愛するヒンズー教ゴウディヤ・ヴァイシュナヴァ派のインド人宗教家プラブパーダ(A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ)が、世界布教のために立ち上げた新宗教団体である。同団体では、シュリーラ・プラブパーダと呼ばれる。
 ※クリシュナは、ヒンズー教におけるヴィシュヌ神(ブラフマー、シヴァと並ぶ最高神)の第8の化身(アヴァターラ)。

 ヴァイシュナヴァとは、ヴィシュヌの信徒を指している。ブラフマー、シヴァ、ラクシュミー、クマーラ(4人の聖者)といった、4つの師弟継承があるとされる。これら4つの流れの信徒たちを「サンプラダーヤ ヴァイシュナヴァ=ヴィシュヌの宗派」という意味で総称される。
ゴウディヤ・ヴァイシュナヴァとは、ブラフマーの流れから師弟継承され、主チャイタンニャ(ゴウラスンダラとも呼ばれている。)の流れの信徒をゴウディヤ・ヴァイシュナヴァと言い、チャイタンニャから弟子たちへと受け継がれた流れの信徒たちを指す。

 神を讃えるマントラは「ハレー・クリシュナ (en:Hare Krishna (mantra))」であり、主チャイタンニャ(インドではカリユガに現れる神の化身であると言われている)の「サンキールタン運動」として知られている。
 プラブパーダはインドからアメリカ合衆国に渡り、この宗教団体を作り上げた。布教先は現在世界中に及んでおり、『バガヴァッド・ギーター』のプラブパーダ注解つき訳書『バガヴァッド・ギーター あるがままの詩』も58言語版が刊行されている。

2.開祖
【アバイ・チャラナラヴィンダ・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ】 1896年9月1日〜 1977年11月14日

■インド時代
 インドのカルカッタ出身。出生時の名前はアバイ・チャラン・デー(Abhay Charan De)。カルカッタにあるスコットランド教会大学を卒業後、製薬会社で働いていた。
 1922年に宗教上の師匠(グル)となるバクティシッダーンタ・サラスヴァティー・タークルと出会い、チャイタンニャ(チョイトンノ)派クリシュナ信仰に近づく。チャイタンニャは後のプラブパーダの著作でも称えられるカリユガ期に現れたクリシュナの化身である。(インドでは支持されている話である)1925年にはクリシュナが生まれたとされる聖地ヴリンダーヴァンに巡礼。

 1932年にバクティシッダーンタの弟子となったプラブパーダは、師からクリシュナ チャイタンニャ信仰を西洋に広めよと、またその聖典全てを英語で記す必要があると言われた。バクティシッダーンタはこれをどんな犠牲を乗り越えてでも人生をかけて行うべきであると説いた。この時、プラブパーダは師を通じてクリシュナが使命を与えたと確信した。

 1944年から英語の隔週週刊誌『バック・トゥ・ゴッドヘッド』を刊行し、1950年に結婚生活を止めてヴァーナプラスタ(隠退)し、その6年後に聖地ヴリンダーヴァンに向かい現地の寺院で聖典の英訳と、英語での注釈執筆に専念する。この時に西洋への布教方法についても検討を重ねた。

■アメリカでのクリシュナ意識国際協会の創立
 資金はなく後援者は見つからなかったものの、ある船会社のオーナーの善意により、無料でアメリカ合衆国に行くことができた。この時69才であった。ニューヨークに到着したプラブパーダは、やがてイースト・ヴィレッジにて、若者を対象に布教を開始する。プラブパーダは新しい人生のスタイルを求める彼らにこそクリシュナ信仰を伝えるべきと考えた。

 1966年の春に小さな寺院を開いた。彼らは後にヒッピーと呼ばれるタイプの人びとであった。その看板には「クリシュナ意識国際協会」と書かれ、同年7月には免税宗教法人として認められた。夏頃になると、旧来のアメリカの価値観に代わるものを求める何千人もの若者がイースト・ヴィレッジに集まっていた。プラブパーダはクリシュナの誕生日とされる9月8日に11人の弟子の入門式を執り行った。

■ヒッピーとの連動
 11人の最初の弟子の一人はサンフランシスコに渡り、ハイト=アシュベリーに寺院用の部屋を借りた。この寺院を訪れてほしいと弟子に頼まれたプラブパーダは1967年1月にサンフランシスコを訪れた。

 1967年1月29日、マントラ・ロック・コンサートに参加した。グレイトフル・デッド、モビー・グレープ、ジェファーソン・エアプレインといった顔ぶれの中、プラブパーダはコンサートそのものの中心に据えられていた。このコンサートは彼に心酔していたアレン・ギンズバーグのアイデアによるものだった。クリシュナ意識国際協会でも唱えられる賛美の言葉「ハレー・クリシュナ」はサンフランシスコでのヒッピー全体に行き渡り、共通の特徴と言えるまでに普及した。

■さらなる世界進出
 二ヵ月半後、ニューヨークに戻ったプラブパーダは心臓に痛みを感じた。彼は一人のアメリカ人弟子を伴い、インドのヴリンダーヴァンに一時帰国した。この時すでにニューヨークとサンフランシスコに寺院が建ち、モントリオールやロサンゼルスでの開設も控えていた。異国での布教を成功させたプラブパーダはインドでの名声も高めることになった。
 1968年にアメリカに戻ったプラブパーダは聖典の翻訳作業に加え、弟子たちの育成に励んだ。弟子たちは世界各地に渡り、そこに寺院を設けた。プラブパーダも寺院のある場所を訪れるよう心がけた。

 1969年9月にロンドンを訪れた際には、インド風の服装をしたクリシュナ意識国際協会メンバーの姿と併せて話題となり、マスコミでも大きく取り上げられた。プラブパーダは12月にアメリカに戻った。僅か3ヶ月の滞在ながら反響は大きく、ヨーロッパの人々にも影響を与えた。
 ボストンの寺院が開かれた後、ロサンゼルスにも寺院が建った。ロサンゼルス寺院は、クリシュナ意識国際協会が土地も所有するはじめての寺院であった。信者が共同生活するコミュニティもここに建てられ、ロサンゼルス寺院はクリシュナ意識国際協会の本部となった。この本部を拠点に世界各地に寺院が建てられた。

■死去まで
 1971年11月にプラブパーダは祖国インドにも寺院を建てる計画を実行した。チャイタンニャ(チョイトンノ)の生地であるマヤプール、プラブパーダが堕落しているとみなしたボンベイ。そしてヴリンダーヴァンの三ヶ所である。
 大勢の弟子を引き連れての帰国は好意的な反響だけでなくプラブパーダが連れた異国人への警戒心も招いた。これに対し彼はクリシュナ信仰が一宗教、一国家のためのものではなく普遍的なものである旨を説いた。結果的に、寺院建設は成功した。寺院の落成式にはインド政府からの代表も参加した。

 1977年にはクリシュナ意識国際協会の子供とそうでない子供も一緒に学ぶ学校も建てられた。それからすぐ後、プラブパーダは81年の生涯を閉じた。
 
■信仰
 『バガヴァッド・ギーター』を中心としたゴウディヤ・ヴァイシュナヴァの師弟継承による弟子の育成、神の知識を与える信仰である。クリシュナを最高人格主神と崇め、「クリシュナ意識」を高めることを説く。クリシュナ意識とは、神と自分がどのように繋がっているのか、自分は何のために生きているのかを知ることである。感覚的、物質的な満足は儚いものであり、道徳を向上させるだけであっても、宗教儀式を行うだけであっても十分ではない。本当の幸福を得るためには、クリシュナを愛するほかない、としている。

 信徒たちは、菜食主義(ベジタリアン)ではなく、クリシュナンであると言っている。無論アヒンサーの精神から食べるために動物を殺すことに極めて否定的であるのだが、クリシュナが食べるものを人間はお下がりとして食べるのであるという。神は、そもそも太古から人間が動物を食べるように創造していないという。野菜にも命はあるという反論者に対して、人間は最小限、食べるものが必要であり、だからこそ、バガヴァッドギーターに書かれてあるとおり、神が許可する食物を調理して捧げてから食事をするのであるという答えである。

 『バガヴァッド・ギーター』を五千年前に書かれたものとし、ヴェーダや他のヒンドゥー聖典を歴史的事実とするものである。キリスト教、イスラム教といった他宗教の価値も認めている。ただし、宗教は神の法律であり、神への愛を捧げることとする定義から外れるなら、認めることはない。
 また、無神論者である科学者には容赦がない。プラブパーダは進化論を否定し、チャールズ・ダーウィンを悪者と呼んでいる。この姿勢はクリシュナ意識国際協会に受け継がれている。 

3.歴史

4.経典
 『バガヴァッド・ギーター』と『バーガヴァタ・プラーナ』(『シュリーマド・バーガヴァタム』)

5.教義・崇拝対象
 クリシュナを最高人格主神として崇拝し『バガヴァッド・ギーター』と『バーガヴァタ・プラーナ』(『シュリーマド・バーガヴァタム』)を中心にグル(正統な師弟継承されている教師)を通してヴェーダ文献を学ぶ。ヴェーダや他の聖典の記述を、歴史的事実とする。

 他宗教に対しては融和的であり、その価値を認めている。ジョージ・ハリスンは出版のために資金援助を行なった『主バガヴァーン クリシュナ』のまえがきで「神は無限です。神は多くの名をお持ちです。アラー、ブッダ、エホバ、ラーマ、全てがクリシュナです。全ては一つです」と述べている。プラブパーダは、イエス・キリストをクリシュナの息子であり、ヴァイシュナヴァであると語っている。

【進化論を否定】
 プラブパーダは進化論を否定し、チャールズ・ダーウィンを悪者と呼んだ。この姿勢は彼の没後も受け継がれており、信徒が書いたヴェーダ創造論の著作がISKCON関連の出版社バクティヴェーダーンタ文庫社より刊行されている。約5,000年前に書かれたとする聖典シュリーマド・バーガヴァタムは、旧約聖書と一致し、人類の寿命がだんだん短くなっていることが確認される。

【入門した信徒の戒律】
1.不正な性行為はいけない(結婚してからの性行為は認められている)。
2.ギャンブルはいけない。
3.陶酔物の摂取はいけない(酒、たばこ、ドラッグを指しているが、カフェイン入りのお茶、コーヒーも含める)。ノンカフェインのお茶やコーヒーなら可能。
4.肉食はいけない(肉、魚、卵を指している)。
 その他、1日に1周が108個で出来ている数珠を1個ずつハレークリシュナマントラを唱え、それを16周唱えることとしている。
  
【食生活】
 クリシュナ意識国際協会では菜食主義が実践される。信徒は、クリシュナが許可したものを食べるので、クリシュナンであると語っている。プラブパーダは、人間は動物を食べる存在として創造されたのではないと言っている。

6.活動・機関誌

7.行事

8.施設・関連団体

9.著名人

10.その他
【プラブパーダの著作】
 日本語訳が刊行されたもの
『バガヴァッド・ギーター あるがままの詩』
『バガヴァッド・ギーター』の英訳と注釈。日本語を含む各国語版も制作・刊行された。
『主バガヴァーン クリシュナ 第1〜4巻』
『シュリーマド・バーガヴァタム 第1巻』
『プラブパーダ』
『献愛奉仕の喜び』
『ヨーガの完成』
『自己の探求』
『シュリー・イーシャ・ウパニシャッド』
『クリシュナへの道 絵で見るヴェーダの教え』
『カミングバック 輪廻の科学』
いずれもバクティヴェーダンタ文庫社からの刊行物である。

【クリシュナ】
 クリシュナは、インド神話に登場する英雄で、ヒンドゥー教におけるヴィシュヌ神の第8の化身(アヴァターラ)である。ヴィシュヌに匹敵するほどの人気があり、ゴウディヤ・ヴァイシュナヴァ派では最高神に位置づけられ、他の全ての化身の起源とみなされている。

 古来よりインド絵画、神像の題材となっており、その名はサンスクリットで意味は「すべてを魅了する方」「黒」を示し、青黒い肌の男性として描かれる。 クリシュナには別名があまたあり、広く知られている呼称はゴパーラ(Gopala、牛飼い)、ゴーヴィンダ(Govinda、牛と喜びの保護者)、ハリ(Hari、奪う者)、ジャガンナータ(Jagannatha、宇宙の支配者)、マーダヴァ(Madhava、春を運ぶ者)、ダーモーダラ(Damodra、腹に紐をかけた者)、ウーペンドラ(Upendra、インドラ神の弟)などがある。
 約16000人もの妃がいたことで知られるが、聖典を詳しく読めば、クリシュナが分身して、それぞれの妃を満足させたと書かれている。

【ヴィシュヌ】
 ヴィシュヌは、ヒンドゥー教の神である。三神一体論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされる。ヒンドゥー教の時代になって、英雄や土着の神をその化身、アヴァターラ(化身)として取り込んで行くことで民衆の支持を集め、ついにはブラフマー、シヴァと共に三神一体(トリムールティ)の最高神の位置を獲得した。

 ヴィシュヌは、アヴァターラと呼ばれる10の姿に変身して地上に現れるとされる。これは、偉大な仕事をした人物や土着の神を「ヴィシュヌの生まれ変わり」として信仰に取り込む為の手段であったと考えられる。よく「化身」と訳されるが、インカネーションとは意味合いが異なる。「権化」「権現」「化現」を使った方が正しい。
 クリシュナ、ラーマなどが有名な勇者で、クリシュナは叙事詩『マハーバーラタ』で、ラーマは叙事詩『ラーマーヤナ』で語られている。
また、仏教の開祖仏陀もヒンドゥー教ではヴィシュヌのアヴァターラとされるが、人々を混乱させるために来たとされ、必ずしも崇拝されているわけではない。
 


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