立正佼成会
開 祖
 庭野日敬
設 立
 1938年(昭和13年)
崇拝対象
 久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
経 典
 『法華三部経』(無量義経・妙法蓮華経・仏説勧普賢菩薩行法経)
本拠地
 東京都杉並区
信者数
 600万人


開祖=庭野日敬

立正佼成会大聖堂

シンボル


1.概略
 立正佼成会(りっしょうこうせいかい)は、霊友会から派生した法華系の新宗教である。西田無学が提唱した在家による法華経の先祖供養を行うという点では霊友会と同じだが、法華経に基づく教義や根本仏教、開祖法話による人間の内面の修養を行いつつ、自他共に救われる修行の推奨(教団では「心田を耕す」と呼称している)など、教団独自の特色が色濃く出ている。信者数、約600万人。

2.開祖
【庭野日敬】1906年(明治39年)11月15日〜1999年(平成11年)10月4日
 庭野日敬(にわの にっきょう、、改名前は庭野鹿蔵)は、日本の宗教家で仏教系新宗教の在家教団立正佼成会の開祖(初代)会長。彼は立正佼成会を創立し、一代で一時期は信者公称約170万世帯600万人以上を擁する大教団に育てた。 また1979年(昭和54年)「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞の日本人初の受賞者である。

■1906年〜
 1906年(明治39年)11月15日、新潟県中魚沼郡十日町大字菅沼(現・新潟県十日町市菅沼)の農家に、庭野重吉の次男・庭野鹿蔵として生まれた。小学校を卒業後、16歳で上京。米穀店や薪炭店に勤め、漬物店や牛乳店を営む傍ら、自分の子供の病気をきっかけに信仰に目覚めた。易学や修験道など様々な信仰遍歴を重ねた末、法華経信仰の道に入る。

 1935年(昭和10年)に法華系新宗教教団の霊友会に入会し、当時教団幹部であった新井助信より法華経の講義を受け師事する。1938年(昭和13年)3月5日、かねてより師事する新井の強力な勧めもあり、庭野は長沼政(後の長沼妙佼副会長、脇祖)とともに霊友会を脱退し、国柱会出身の村山日襄ら他約30人の信者で法華経をよりどころとする大日本立正交成会を創立(初代会長…村山日襄・初代副会長…石原叔太郎)した。

 この会創立と共に庭野は日敬に改名し戸籍登録。創立当初の同会本部は庭野が当時経営していた東京・中野の牛乳販売店の2階に置かれた。会の草創期は早朝に牛乳配達を終えた後、自転車の荷台に長沼を乗せて深夜まで、2人3脚で寝る間も惜しんで布教に駆け回った。
 
■1943年〜
 1943年(昭和18年)村山日襄会長、石原叔太郎副会長がそれぞれ退任。後継として実質の運営・指導者である庭野と長沼がそれぞれ「開祖会長」「副会長」に就任、名実ともに庭野会長・長沼副会長体制がスタートする。同会は、1948年(昭和23年)に立正交成会、1960年(昭和35年)に立正佼成会と改称。信者が車座になって互いに悩みを語り合う「法座」活動などで順調に教勢を伸ばした。

 教団の運営・管理部門を収容する施設や本部根本道場の建設が急務となる中、その教団施設建設用地の取得問題や、霊視・霊感による半ば強引な布教活動がマスコミから格好の批判の的となり、衆院法務委員会から参考人召喚を受ける。

 さらに当時教団内で、庭野より霊視・霊感に秀でた長沼のカリスマ性ゆえに、一部教団幹部より「長沼教祖・庭野会長待望論」や副会長の長沼を会長に擁して新教団独立を模索する動きが起こり、一部は庭野への式典出席拒否などの排除行動にも顕れた。この動きは1957年(昭和32年)かねてより患っていた持病の悪化により長沼が死去した事で自然消滅し事態は収束した。
 
■1957年〜
 庭野は法華経と教義を基盤として教団の近代化と機構改革を図るとともに、信者に対しては個人救済から社会全体の救済へと会の運動・信仰の理念を発展させ、社会奉仕を目的とする「明るい社会づくり運動」、節約した食費を途上国援助などに寄せる「一食を捧げる運動」を提唱。ユニセフ支援、アフリカ援助アフリカに毛布を送る運動などに尽力した。また当時より(後年発足する四月会とも連携して)自由民主党などの支持団体として、政界にも発言力を持つ。

 他宗派との宗教協力にも取り組み、日本宗教連盟理事長などを歴任。1965年(昭和40年)仏教徒はもとより異教宗教者として初めて第2バチカン公会議に招聘された。その際、当時のローマ教皇パウロ6世から諸宗教の宥和を説かれたことをきっかけに、国際的な諸宗教の対話による平和の実現を決意。世界宗教者平和会議(WCRP…国際連合経済社会理事会の専門部会の一つ)アジア宗教者平和会議(ACRP)を創立し、1970年(昭和45年)京都で開催された第一回世界宗教者平和会議(WCRP氈jを皮切りに宗教者が宗教協力と対話からもたらす平和活動を推進した。
 
■1979年〜
 1979年(昭和54年)、宗教協力による平和活動の功績で「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞(テンプルトン財団)を日本人で初めて受賞し、受賞会場のイギリス・ウィンザー城にて基調講演を行った。またこの他にも、アルベルト・シュバイツァー博士の生誕100年を記念して創設されたユニクェスト・シュバイツァー賞、ローマ教皇庁の大聖グレゴリウス勲章、キリスト教・ユダヤ教国際協議会のインターフェイス・メダリオン(宗教対話促進賞)など、数多の賞勲を受けた。

 1991年(平成3年)11月15日、立正佼成会大聖堂(本部道場)で法燈継承式が挙行され、長男の庭野日鑛に会長位を委譲して初代「開祖」となった。
 1998年(平成10年)の秋に風邪を悪化させ入院、翌1999年(平成11年)3月には教団の式典に出席したものの、同年4月から再入院。1999年(平成11年)10月4日午前10時34分、東京都中野区の病院で老衰のため逝去。享年92。

 葬儀・告別式は、開祖葬として同年10月10日、東京都杉並区和田二丁目の立正佼成会大聖堂で挙行。国内外の新宗教団体、仏教、神道、キリスト教などの各宗派宗教者の代表および政財界関係者、信者ら延べ約6万人参列、その列は杉並の本部周辺の道路にまで及び数キロメートルに渡り続いた。 

3.歴史
■1938年〜1957年
 霊友会の有力な信者であった庭野鹿蔵(新井支部・副支部長)と、庭野の勧誘で共に霊友会を信仰していた長沼政は、彼らが所属していた新井支部(当時は支部をまとめる責任者の名前で支部名が呼称されていた)支部長で熱心な法華経行者であった新井助信の強力な勧めもあって、1938年3月5日に「大日本立正交成会」(現在の名前に改称されたのは1960年6月1日)を創立した。会の創立に当り、庭野鹿蔵は「日敬」、長沼政は「妙佼」と改名して戸籍登録した。

 「揺るぎない信仰心」が培われた時代とされ、庭野日敬開祖会長(当時)と長沼妙佼脇祖(当時・副会長)の信仰指導によって、いわゆる「貧病争」の苦しみから救われ、仏道精進に導くというスタンスで布教活動を行っていた。当時の日本は第二次世界大戦の影響で多くの人々が苦しい生活を強いられていたため、会員の多くは直面する現実的な救われ(人生苦の根本的解決)を求めて修行に励んだ。

 一方で戦後急激に拡大した教勢に対しマスコミの耳目を集めることになり、1956年に読売新聞が本部用地の取得にあたって不正が行われたとの疑惑を報道する。庭野開祖会長が国会に召喚され事態を説明するに至っている。

■1958年〜1977年
 1957年9月10日に長沼副会長が死去すると、宗教の役割は人生の悩みや苦しみを解決する事だけでは無く、経典・教義とそれに基づく指導によって人格の向上をめざし、幸せな家庭や平和な社会を築いていくことも重要と位置づけ、長沼副会長ら筆頭に行っていた霊能指導から根本仏教や法華経の研鑽への回帰を強く打ち出し、活動の中心も法華経を背景とする先祖供養・教学研修・人間修養へと移していく。ちなみに教団では長沼副会長存命中の期間を『方便教化の時代』・長沼副会長没後 - 創立40年の期間を『真実顕現の時代』と呼称している。

 また、他の宗派・教団との連携や交流も早くから着手し、日蓮宗を初めとして神社本庁、天台宗、妙智会教団、PL教団などとの交流も盛んに行った。また、庭野開祖会長が提唱した「宗教対話」の精神に則り、世界宗教者平和会議(WCRP)、新日本宗教団体連合会(新宗連)には創立メンバーとして当初から参加している。

■1978年〜1997年
 この時代は人々に法華経の教えを弘め、それまでの経典・教義教育・指導での研鑽による人間修養を引き続き行いつつ、地域社会・国家・世界平和の実現に向けて貢献していく活動にシフトして行った。 これにより全国各地で「一食(いちじき)を捧げる運動」や「アフリカへ毛布をおくる運動」、「ユニセフ街頭募金」などが始まり、会員たちはこれらを市民運動化へと目指し取り組むようになる。またWCRP(世界宗教者平和会議)を中心に軍縮や核兵器の廃絶運動など、宗教協力を基盤とした平和活動を展開していった。

■1998年〜現在
 教団創立60周年(1998年)を契機に、教団方針として「一人ひとりの心田を耕す」を新たに目標に掲る。要約すると、「無常」という仏教の真理(法)を認識し、いのちの尊さに目覚めていくことを意味する。

4.経典
 『法華三部経』(無量義経・妙法蓮華経・仏説勧普賢菩薩行法経) 
【主な教義書】「新釈 法華三部経」「法華経の新しい解釈」「仏教の根本義」「仏教のいのち法華経」他多数

5.教義・崇拝対象
【本尊】久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(立像または立画を表装したもの)

6.活動・機関誌
 かつて創価学会と立正佼成会は、お互い教勢を伸ばす途上においての活動に、様々な行過ぎや人権侵害等の公共の福祉に反するものがあるという訴えが各方面より度々なされた。創価学会の折伏大行進は数多のトラブル(一部は刑事事件に発展)や人権蹂躙を起こし、佼成会の霊感指導は多くの問題と誤解を生むこととなった。

 戸田城聖創価学会第二代会長(当時)主導の下、折伏大行進で「西の天理教」と共に「東の立正佼成会」を撲滅掃討させよとの運動が全国的に繰り広げられたため、昭和20年代後半から40年代初頭に掛けて創価学会と立正佼成会での非難合戦は他教団をしのぎ熾烈を極めた。またこうした動向が国会でも取り上げられる問題となり、衆議院の法務委員会の調査結果に基き、1956年3月6日、不当な宗教活動に対して警告を発する「不正なる宗教活動に対する決議」が満場一致でなされたことがある。

 1956年(昭31年)教勢の急激な拡大による、佼成学園をはじめとする教団本部関連施設の建設用地取得に絡む不正取引などに始まる読売新聞の報道等によって、教団幹部を含む会員延べおよそ7万人の大量退会騒動に発展する。

 WCRP(世界宗教者平和会議)などの後方支援もしており、1970年10月と2006年8月に京都で開催されたWCRP氈EWCRPヲ(第1回・第8回世界宗教者平和会議)総会と各部会の運営・側方支援を会を挙げて行ったり、新宗連(新日本宗教団体連合会)や日宗連(日本宗教連盟)などを通じた他宗派や他宗教団体との協調・連携活動も活発である。立正佼成会自体は日蓮宗系の宗教団体であるが、比叡山延暦寺を通じて天台宗との繋がりも大きい。

 かつては、霊感指導等で問題となったが、現在では、日蓮宗、神社本庁、天台宗、PL教団、善隣教、妙智会教団、ローマ教皇庁などとの交流も盛んで、平和主義を掲げているため、他の法華系の新宗教(創価学会、冨士大石寺顕正会など)に比べて、比較的穏健な立場を取っている。

7.行事

8.施設・関連団体
■病院
* 立正佼成会附属佼成病院
■文化団体、施設・教育機関
* 東京佼成ウインドオーケストラ
* 普門館 - 1977年と1979年にH.V.カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏したことで知られており、長年全日本吹奏楽コンクール(社団法人全日本吹奏楽連盟・朝日新聞社主催)全国大会の中学の部・高校の部の演奏会場となっている。
* 佼成カウンセリング研究所(こころの悩みの無料相談)
* 教育者教育研究所
* 家庭教育研究所
* 佼成武徳会(剣道を通して心身の鍛練と人間教育)
* 佼成学林(法華経精神に基づく人材育成を行い、当会職員や他方教育機関等の幹部候補を養成している)
* 芳_女学院情報国際専門学校
* 佼成育子園(保育・幼稚園)
* 佼成学園中学校・高等学校(男子校)
* 佼成学園女子中学校・高等学校
* 府中佼成幼稚園
* 佼成図書館(1993年TBS金曜ドラマ「高校教師」で二宮繭と教師の羽村が図書館で鬼ごっこをするシーンのロケ地である)
* 立正佼成会附属佼成霊園
* 庭野平和財団(宗教的精神を基盤とした平和のための思想・文化・科学・教育等の研究と諸活動、また世界平和の実現と人類文化の高揚に寄与する研究と諸活動への助成)
* よく間違われるが立正大学とは無関係である。
■出版
* 佼成出版社
■保険・その他マネジメント事業体
* 立花産業
* 佼成ライフプラン(葬祭業・保養施設、有料老人ホーム、通所および訪問介護施設などの管理運営)

9.著名人

10.その他 



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