楢山節考(ならやまぶしこう)


1983 東映
原作:深沢七郎
監督:今村昌平
出演:緒方 拳、坂本スミ子

 一般の人は、単に暗い不気味な映画としか感じないかもしれないが、ボクはこの映画を見て、ひとつの宇宙を表現していると思った。
 小さな山村の貧しい生活、そこには「うば捨て」を中心とする厳しい掟がある。悲惨で残酷なシーンもあるが、それも村人の合理的な生活の知恵なのである。厳しい掟を守りながら、たくましく生きている人々を見ていると胸が熱くなってくる。このことは、自然界の摂理にも似ている。魚はたくさんの卵を産むが、大部分は食べられるか死んでしまう。ライオンは他の動物を殺し、その肉を食べなければ生きていけない。「かわいそう」というのは、子供じみた感傷に過ぎない。それが、自然の摂理なのである。

 だから、この映画はただ貧しい山村の生活を描いているだけではない。人間社会の普通的テーマを暗示的に表現している。人間の生き方、人間社会のあり方、人間と自然のあり方、そして、それらを包む宇宙のあり方までを深く考えさせられる映画である。。


(ストーリー)
 おりんは元気に働いていたが今年楢山まいりを迎えようとしていた。楢山まいりとは七十歳を迎えた冬には皆、楢山へ行くのが貧しい村の未来を守る為の掟であり、山の神を敬う村人の最高の信心であった。 山へ行くことは死を意味し、おりんの夫、利平も母親の楢山まいりの年を迎え、その心労に負け行方不明となったのである。春。向う村からの使の塩屋が辰平の後添が居ると言って来た。

 おりんはこれで安心して楢山へ行けると喜ぶ。辰平にはけさ吉、とめ吉、ユキの三人の子供とクサレと村人に嫌われる利助と言う弟がいた。それがおりんの家・根っ子の全家族である。夏、楢山祭りの日、向う村から玉やんが嫁に来た。おりんは玉やんを気に入り、祭りの御馳走を振舞う。そして悩みの、年齢と相反した丈夫な歯を物置の石臼に打ちつけて割った。夜、犬のシロに夜這いをかけた利助は、自分が死んだら、村のヤッコ達を一晩ずつ娘のおえいの花婿にさせるという新屋敷の父っつあんの遺言を聞く。

 早秋、根っ子の家にけさ吉の嫁として、腹の大きくなった雨屋の松やんが混っていた。ある夜、目覚めたおりんは芋を持って出て行く松やんを見た。辰平はもどって来た松やんを崖から落そうとしたが腹の子を思いやめる。数日後、闇夜に「捕山様に謝るぞ!」の声がした。雨屋の父つっあんが焼松の家に豆かすを盗みに入って捕まったのである。

 食料を盗むことは村の重罪であった。二代続いて楢山へ謝った雨屋は、泥棒の血統として見なされ、次の日の夜、男達に縄で縛られ生き埋めにされた。その中におりんに言われ雨屋にもどっていた松やんも居た。新屋敷の父っつあんが死に、おえいは遺言を実行していたが利助だけはぬかした。飼馬のハルマツに当り散らす利助を見かね、おりんはおかぬ婆さんに身替りをたのむ。

 晩秋、おりんは明日山へ行くと告げ、その夜山へ行く為の儀式が始まった。夜が更けて、しぶる辰平を責め立てておりんは楢山まいりの途についた。裏山を登り七谷を越えて楢山へ向う。楢山の頂上は白骨と黒いカラスの禿げ山だ。辰平は七谷の所で、銭屋の忠やんが又やんを谷へ蹴落すのを見て茫然と立ちつくす、気が付くと雪が舞っていた。辰平は猛然と山を登り「おっ母あ、雪が降ってきたよう! 運がいいなあ、山へ行く日に」と言った。おりんは黙って頷くのだった。

(キネマ旬報)



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