武良布枝(むらぬのえ)…夫を信じ続けた誇り



 

 「私が本を書くなんて想像もしませんでした。出版社の人からとにかく書いてみてくれと言われ、気がついたら、1冊できあがっていました。本ができたら、次はドラマ、映画と。人生がこんな展開になるとは」
 漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の原作者、水木しげるさん(88)の妻、武良市枝さん(78)が自伝エッセー「ゲゲゲの女房」を出版したのは2008年。水木夫妻が住む東京都西部の調布市は、いまやすっかり「ゲゲゲの街」だ。

 この春、NHKテレビで「ゲゲゲの女房」が始まってから、妖怪たちの像が立つ京王線調布駅北口の「天神通り商店街」には週末、お気に入りの妖怪と写真撮影をする行列ができ、ドラマのロケで使われた近くの深大寺の境内は大勢の人でごった返す。

 水木さんと布枝さんが結婚したのは、1961(昭和36)年。自転車にまたがって笑う水木さんの写真を見た時、島根にいた布枝さんは、この人と結婚する予感がしたそうだ。「東京で漫画を描いている人は、きざっぽい人だと思っていたんですよ。そしたら、お.見合いでは東京の言葉は使わないし、おおらかな感じで。.話がとんとん拍子で進んで、5日後には結婚しました」

 「ところが、調布の水木さんの家に到着した布枝さんが思ったのは「とんだところに来てしまった」。家の周りは畑だらけ、そして板を打ち付けただけのような一軒家。待っていたのは、質屋に物を質入れしては、お金を作る赤貧生活だった。売り物にならない腐りかけのバナナが、ごちそうだった。

 「税務署が来た時は、収入がほとんどないのに、あまりにしつこいから、水木は質札の束を持ってきて、『われわれの生活が、きさまらにわかるか』って怒鳴ったんです。今思えば、よく生きていたわ。それでも、水木のひょうひょうとした明るい雰囲気のおかげで、みじめな気持ちにはなりませんでした」

 敗戦から立ち直り、日本が次第に豊かになっていく時代。そんななか、水木さんは戦争で失った左腕の代わりに左肩で原稿を押さえ、夏も冬も、額から流れる汗をねじり鉢巻きで止めながら、貸本などの漫画を描き続けていた。「登場入物が笑えば、水木も笑う。怒れば怒る。百面相をしながら懸命に描いている姿を見た時、生きるために仕事に打ち込む一人の男、水木を信じるしかないと思いました」

 転機は結婚5年目。水木さんの「テレビくん」が「別冊少年マガジン」に掲載され、その年の暮れ、講談社児童漫画賞を受賞する。「ついに来るべきときが来た」。布枝さんはこの言葉を水木さんにではなく、自分自身に言い聞かせたという。「貧しくても信じ続けたことが私の生涯最大の誇り。終わりよければすべてよし、です」

 事務所で取材中、水木さんがふらりと顔を出した。「あら、まあ」と、布枝さんは水木さんに穏やかな笑顔を向けた。その表情には、2人が刻んできた信頼の深さが漂っていた。

(朝日新聞 2010-10-24)



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