独立宣言を書いたジェファソン


 米国独立戦争のさなかの1776年、トーマス・ジェファソン(1743〜1826年)は33歳の若さで独立宣言の起草に当たりました。
 人間は平等であり、天賦の権利を持つこと、そして政府は人民の同意に基づいて組織されるべきことを、世界に先駆けて説いたのです。
 しかし、審議では黒人奴隷制度を批判した部分が問題にされ、起草案から削除されてしまいました。南部の農園主にとって、奴隷制度は不可欠だったのです。ジェファソン自身も黒人奴隷を使っている農園主でした。

 その後、彼は第三代大統領になりますが、奴隷解放を積極的に唱えなくなります。
 一方で、所有する黒人奴隷の女性との間に7人の子どもをもうけています。
 近年、その子孫との血縁関係が、DNA鑑定で証明されて話題になりました。
 女性の名前はサリー。妻に先立たれたジェファソンの身辺の世話をしました。

 ジェファソンの外国旅行にも同行し、読み書きや外国語教育も受け、当時の奴隷では考えられない生涯を送っています。2人は結婚せず、彼はサリーとの関係について生涯沈黙を守り通しました。
 しかし、彼女への思いはその行動が雄弁に物語っているのではないでしょうか。

(琉球新報 2006-9-22)


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