モーリス・ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」
ーダンディズムと狂気との狭間でー


 1988年8月に86歳で亡くなったドイツの大音楽評論家ハンス・ハインツ・ジュトゥッケンシュミットに「現代音楽の創造者たち」(1958年刊、邦訳は新潮社:吉田秀和訳)という名著がある。ブゾー二で始まって、ブリトゥンとヘンツェで終わる全20章から成っているが、この中でラヴェルについて言及した章は以下のような文で始まる。

 「近代の作曲家銘々伝のなかで、モーリス・ラヴェルほど、謎めいた人物はいない」。 ラヴェルは”謎’の作曲家なのだ。
 もう少しジュトゥッケンシュミット先生の言をきこう。
 「ラヴェルの場合、願望と現実のあいだに、一種の分裂がうまれているのは、疑う余地がない。彼は肉体的に、りっぱな形をした頭のしたに、ほとんど小人とでもいうべき身体をもっていた。彼が過度なくらい身なりにこったことは(1928年のアメリ力旅行には、シャツを50枚ももっていった)この欠陥をがくそうとする彼の努力のあらわれである」(以上前掲音より)

 「気ちがい」という言葉は、良識あるひとは使ってはいけないということになっているので困ってしまうのだが、モーリス・ラヴェル(1875−1937)の作品の中には、狂気一歩手前どころか、本当に「気ちがいじみた」としかいいようのないものがある。もちろんこれは、最大限の讃辞だ。有名な「ボレロ」(1928年)の時も、作曲を依頼したダンサーのイダ・ルビンシテイン夫人があのエンエンと繰り返されるリズムとモティーフを前にして、「こんなの気違いよ。気違いじみてるワ!」と叫んだといわれている。

 「左手のためのピアノ協奏曲」(1931年)の冒頭も、ちょっと信じられない響きで始まる。オーケストラに用いられる全楽器の中で最低音を出すコントラファゴットが、コントラバスのアルペジオ(分散和音)に乗っていきなりソロで登場し、薄気味悪い坤き声を発する。何とこの楽器の最低音B2(約29ヘルツ)という、とんでもない音もきこえてくる。これが盛り上がって、約2分半ほどでピアノ・ソロが入ってくる。しかしこれが左手だけなのだ。私はこの曲を主演奏で初めてきいて仰天し、それからレコードを買った。スコア(総譜)を見たのはつい最近で、Durand社から出ている水色の表紙をめくったとたん、頭がくらくらした。「こんなの気違いよ、気違いじみてるワ!」

 よく知られているようにこの曲は、第1次大戦の戦傷で右手を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタイン(1887〜1961、ちなみにこのひとは、何と思想家ルートウィヒ・ヴィットゲンシュタインのすぐ上の兄に当たる)からの依嘱作として書かれた。ただし依頼者はこの曲を理解できず、勝手に換骨奪胎して1931年11月27日にウィーンで初演した。怒ったラヴェルは、新たにジャック・フェブリエ(1900〜1979)をソリストに立てて、1933年1月17日にパリで演奏させた。

 指揮はラヴェル自身、オーケストラはパリ交響楽団だった。偉大な思想家の2歳上の兄は、ラヴェルの革新性と狂気にはあまり馴じめなかったようだ。この曲は、人間の心の底にひそむ暗部に触れた箇所を含んでいる。オーケストラは奇ッ怪でグロテスクな音をあちこちできかせるが、全楽器が沈黙して、ピアニストの左手だけで進むカデンツァの部分は、ゾッとするような暗黒と、ローアングルから見上げた光の世界とが交錯している。「左手」という制約がなければ表現できない世界だ。

 ラヴェルはこの曲の中に、自らの負の世界を押し込んだのだろう。彼は小柄で病弱で、びっくりするほどダンディで、同性愛で、神経衰弱に苦しみ、晩年は筆を折ってパリ郊外で機械仕掛けのオモチャと東洋美術のコレクションに囲まれて「謎」の独り暮らしをおくった。そして、交通事故による一年間の病床生活ののち、頭部手術が失敗して死んだ。

 CDはフランソワのソロ、クリュイタンス指揮のもの(東芝CC33−3490)をあげておこう。じつは初演者ヴィットゲンシュタインもマックス・ルドルフ指揮の匿名オーケストラとこれを録音していた(コロムビアHR1018、LP、廃盤)。現在は彼がワルターと共演した1937年のライヴが出ている。

(渡辺和彦)

(CDジャーナル 1992-2)



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