ヒンズー教

2.教祖・重要人物
 ヒンドゥー教はキリスト教やイスラム教のような、特定の開祖によって開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化したものと考えられている。以下は代表的な指導者。

「アンギラス」
 アンギラス(Angiras)は、インド神話に登場する神話的聖仙。七人のリシ(賢者)の一人。

「ヴィヤーサ」
 ヴィヤーサは、インド神話の伝説的なリシ(聖仙)。「編者」の意。パラーシャラ仙とサティヤヴァティーの子。クル王ヴィチトラヴィーディヤの2人の寡婦のうちアムビカーとの間にドリタラーシュトラ、アムバーリカーとの間にパーンドゥを、またアムビカーの侍女との間に賢者ヴィドゥラをもうけた。

 ヴィヤーサの本名ドヴァイパーヤナ(島で生まれた者)とは、サティヤヴァティーがヤムナー川の中にある島で彼を生んだことから名づけられた。叙事詩『マハーバーラタ』の著者とされ、またヴェーダやプラーナの編者ともいわれる。『バーガヴァタ・プラーナ』ではヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)の1つに数えられている。
 ヴィヤーサは、一つのヴェーダを四つに配分(ヴィヤス)したためヴィヤーサと呼ばれる。

「カナーダ」
 カナーダ(Kanada)は、ヒンドゥー教の聖人で、ヴァイシェーシカ学派を創始した哲学者である。2原子分子Dvyanukaと3原子分子Tryanukaについて言及した。恐らく紀元前2世紀頃の人であると考えられているが、紀元前6世紀に生きたとする文献もある。グジャラート州のPrabhas Kshetraで生まれたと信じられている。

 彼の主な研究領域は、ある種の錬金術とされるRasav_damである。彼は、全ての生物は水、火、土、風、エーテルの5つの元素で構成されていると信じていたと伝えられている。野菜は水だけ、昆虫は水と火、鳥は水と火と土と風、そして全ての生物の頂点に君臨する人はエーテルを持っているとした。また彼は、Gurutvaは地球上で物体が落下する原因になっていると理論化した。

「パーニニ」
 パーニニは、紀元前4世紀頃のインドの文法学者である。ガンダーラ(今日のパキスタン)出身。パーニニはサンスクリット文法学者であり、ヴェーダの補助学(ヴェーダンガ)のひとつとして生まれた文法学(ヴャーカラーナ)の体系を確立した。パーニニはアシュターディヤーイー(八つの章の意 ”パーニニ文典”とも)として知られる文法体系の中でサンスクリットの形態論を3959個の規則にまとめたことで名高い。
 2004年8月30日月曜日、インドの郵政省はパーニニをたたえる5ルピーの切手を発行した。

「パタンジャリ」
 パタンジャリは、インドの文法学者。心と意識の哲学的側面に関する箴言に富むヨーガの重要文献、『ヨーガ・スートラ』の編纂者。同じく文法学者であるパーニニの ”Ashtadhyayi” (記述論理学)に関する主要な論文の著者でもある。
 ここ数十年の間、『ヨーガ・スートラ』は、ラージャ・ヨーガの実践の指導書として、心身の調和と健康の増進を目的としたヨーガ・ムーヴメントの哲学的根拠として、世界的にポピュラーな地位を占めるに至った。

 伝統的なヒンドゥー教のヨーガは、瞑想技法の厳格な体系、倫理学、形而上学に関する考察を含む内的熟考や、唯一の普遍霊(神またはブラフマン)への帰依を要件としている。

「ウッダーラカ・アールニ」
 ウッダーラカ・アールニは、紀元前8世紀のインドの哲学者。ヤージュニャヴァルキヤとならび、初期のウパニシャッドに登場する古代インド最大の哲人のひとり。ヤージュニャヴァルキヤの師と伝わる。生没年不詳。
 ウッダーラカ・アールニの思想は「有(う)の哲学」として著名であり、『サーマ・ヴェーダ』の奥義書『チャーンドーギア・ウパニシャッド』の6章に、わが子シュヴェータケートゥへ向けたメッセージというかたちで記載された教えが特に知られている。

 それによれば、宇宙のはじまりは当初「有」のみであったが、「有」は火・水・食物を創造し、そのなかへアートマン(真我)として入り込み、3者を混合して名称 n_ma および形態 ruupa となって運動を繰り広げることとなった。人の死は、このプロセスを逆にたどって「有」に帰ることであるとした。後世の思想家にきわめて大きな影響と問題意識をのこし、仏教における「無」の思想もウッダーラカ・アールニの思想から多大の示唆を得ている。

「ヤージュニャヴァルキヤ」


 ヤージュニャヴァルキヤは、ウパニシャッド最大の哲人、「聖仙」とも称される古代インドの哲人。紀元前7世紀から紀元前6世紀にかけて活躍した。生没年不詳。ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、梵我一如の哲理の先覚者として著名である。太陽神から授けられたという白ヤジュル・ヴェーダの創始者でヨーガ哲学の元祖ともいわれ、王仙ジャナカと共に後の仏陀の思想、仏教の道を用意したといわれる。

 ヤージュニャヴァルキヤは、『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』など初期のウパニシャッド(奥義書)に登場する。彼の哲学の中心はアートマン(真我)論である。彼によれば、この世界はすべてアートマンにほかならない。それは唯一のものである。しかし一方では、アートマンは純粋な意味で認識の主体にほかならないのであるから、決して対象にはなりえない。したがってそれは把握することも表現することも究極的には不可能であることを示し、アートマンは「〜ではない、〜ではない」(ネーティ、ネーティ)としか言いようのないことを説いた。

 ヴィデーハ国のジャナカ王の宮廷に招かれた公開討論会において、並み居る論敵を圧倒、最大の論争相手ヴィダグダ・シャカーリアを論破して千頭の牛を獲得したとのエピソードをもっている。

「シャンカラ」


 初代シャンカラ(Adi Shankara、700年頃〜750年頃)は、マラヤーリ人の8世紀に活躍した中世インドの思想家。梵我一如思想、不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した。

 「神の御足の教師」として知られた彼は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の教義を強化した最初の哲学者であった。彼の教えは、原因を必要とせず存立するところのブラフマン(梵)と、アートマン(我)は同一であるという主張に基づいている。スマートラの伝統において、インド神話ではシャンカラはシヴァ神の異名である。

思想
 ヴェーダーンタ哲学の不二一元論の立場を確立したインド最大の哲学者シャンカラは、原因を必要とせず存立するところのブラフマンと、個人の本体であるアートマンは本来同一であると主張した。仏教思想からの影響を強く受け、「仮面の仏教徒」と称されることがある。

 シャンカラが目ざしたものは輪廻からの解脱であり、その手段は、バラモン教の経典『ヴェーダ』の注釈書(奥義書)である『ウパニシャッド』の説く宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と個体の本質であるアートマン(我)とは本来は同一であるという知識である。現実の日常経験がこの真理と矛盾しているのは、この知識を会得しない無知(無明)によるとし、肉体をも含めた一切の現象世界は無明によってブラフマンに付託されたものにすぎないものであって、本来実在しないと説いて幻影主義的な一元論(不二一元論)を唱えた。不二一元論は現代にいたるもインド思想界の主流をなす教説として知られている。

 シャンカラはヴェーダーンタの代表的な哲学者であるが、その思想は仏教との親近性が高いといわれる。歴史的にみれば、彼は仏教哲学をヴェーダーンタ哲学に吸収する役割を担ったともいえる。

生涯
 伝説では、インド半島南部のケララ州カーラディの地でナムブーディリというバラモン階級の子として生まれたといわれている。幼少時に父を亡くし、出家してゴービンダに師事した。そののち、全インドを遊行のために旅しており、そのなかでパドマパーダ、ハスターマラカ、トータカーチャーリヤ、ヴァールティカカーラという4人の弟子を得た。

 シャンカラは、講話と他の哲学者との議論を通して自身の教えを伝達するため、インド各地を旅行した。彼は、ポスト仏教としてのヒンドゥー教とアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の布教の歴史の発展において、重要な役割を担う4つの僧院を設立した。
 今日においても全てが現存しているというサンスクリットで書かれた彼の著書は、アドヴァイタ(非二元性)の教義を確立することに関するものである。しかし、300点を超える著作がシャンカラ著に帰せられているものの大部分は偽作と考えられている。

 シャンカラは、東西南北に4つの座を設け、4人の高弟をそれぞれに配置した。その座は、現在は「シャンカラーチャーリヤの座」と呼ばれ、ヴェーダーンタを体得した人でないとその座につけないので、空座になることも多い。また、その座についた人をシャンカラーチャーリヤ(アーチャーリヤは「先生」の意)と呼ぶこともある。直訳すると「シャンカラ(の)先生」となり、初代のシャンカラを表すときにはアーディ(「初代」の意)をつけて区別する。

「ラーマーヌジャ」


 ラーマーヌジャ(1017〜1137)はインドの哲学者・神学者。ヒンドゥー教哲学の革命的存在である。
 12世紀の南インドのマドゥライのティルチラパリのシュリーランガム寺院の大司教をしていた。初めシャンカラのアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)を学んでいたが満足せず、ヴィシスタードヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(修正不二一元論)を打ちたてた。

 その内容はシャンカラのものとは大きく違い、現象世界は実在であり神は人格神であり、解脱はバクティ(信愛)によって達成される、というものである。シャンカラがバラモンのための哲学を説いたのに対し、ラーマーヌジャは当時盛んであったバクティ(信愛)を取り入れて庶民のための哲学を説いた。ラーマーヌジャと言えば熱狂的なバクティ(信愛)を思い浮かべるが、本来はかなり主知主義的なものであったという。

 彼の教えはのちに猫派と猿派に分裂した。猫派は子猫が危険になったら親猫が子猫の首をくわえて移動するのに対し、猿派は小猿が危険になったら小猿が親猿に飛びついて移動する、つまり神にすべてを任せるか、あるいは個人の努力も必要かということである。
 彼にはいくつかの著作が有るが『シュリーバーシャ』が代表作である。彼の後世への影響は大きく、ラーマーナンダ、カビール、グル・ナーナクにまで及んでいる。120歳まで生きたと書いてあるがインドによくある話で疑わしい。

「カビール」


 カビール(1440〜1518)は、インドの宗教改革者。
 生没年ははっきりしないが1440年誕生1518年死亡説が有力である。ヴァラナシー郊外のラハルターラーブ池に捨て子されていたのを不可触賎民の織物工でイスラーム教徒のニールとニーマー夫妻に拾われて育てられる。彼も織物工として一生を終える。彼には学歴がなく耳学問で諸宗教家に訪ね回り、ヒンドゥー教とイスラム教の影響を受け、カースト批判や一神教等の思想を広め宗教改革者として有名になる。彼は2つの宗教を折衷したのではなく、諸宗教の本質を追求したのである。

 一説にはラーマーナンダの弟子であるという説もある。シク教のグル・ナーナクへも強い影響を与えている。カビールの教えは革新的なものであったが、今日では、ラーマクリシュナ・G・バンダルカルの言葉によればヒンドゥー教のヴィシュヌ派の一派と思われているようである。

近代の指導者


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