池田会長就任の経緯



 池田は戸田から後継者に指名され円滑に第3代会長へ就任したというデマ。一部でこの話が出回っていたが信憑性は全くなく、創価学会のホームページにも戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託したとあるが、その中に池田など特定された個人の名前は無いため、全くのでたらめ、デマである。ただ、戸田が生前、「創価学会の組織の中にいつかご出現されるであろう久遠の一念三千様が・・必ずやご出現なされるのだ!」と常々周りに予言していた。一部学会関係者が『久遠の一念三千様』を池田大作と勝手に解釈、その流れから池田が戸田から後継者に指名されたという話が広まった可能性があるが、真相は不明である。

 また以下の内容は2010年12月2、12月9日と2週にわたり週刊文春で特集が組まれた記事から内容を得ているものである。

 1958年(昭和33年)4月2日、戸田は東京・駿河台の日大病院で急死した。当時、戸田は後継者を選定していなかったため学会内は混乱。理事長の小泉隆は学会をまとめきれず、一部で後継者と目されていた石田次男も、誠実だが病弱ということもあり、トップに立とうとする欲望が無かった。他の幹部も組織を支えることで手一杯となり、学会は空中分解寸前となる。小泉は最善策として戸田の長男を会長に据えようとするが、本人が固辞したため会長選びは白紙に戻る。

 そんな中、会長の名前に池田が突如浮上する。池田は当時、幹部ではあったが席次は37位と低かった。しかし、自身が実質経営していた大蔵商事で活躍し稼いだ金銭を青年幹部に分配し支持を獲得。また他の幹部から信頼を寄せられていた原島宏治(後に初代公明党中央執行委員長)が池田支持を表明。牧口の薫陶を受けた壮年幹部、理事からの反発はあったが、戦後に戸田の薫陶を受けた青年幹部を中心に、大蔵商事を支えた池田の豪腕に学会再建を期待する声が高まり、会長就任を後押しされるようになったというのが会長就任の真実である。

 しかし、就任当初は少なからず批判もあった。まず、池田が会長に就任した直後、石田次男を支持する創価教育学会時代からの幹部が、分派、顕徳会を結成[94]、池田に対抗した。結成当初、男子部幹部が200人ほどが顕徳会に賛同し気勢を吐いた。しかし石田自身が顕徳会の収拾に動いたことから、顕徳会はわずか1年で崩壊、このことが原因で石田は学会内での支持を失い、学会活動から離れていく。また実弟の石田幸四郎や義弟の秋谷栄之助とも引き離され疎遠となった。

 また、創価教育学会時代から牧口の薫陶を受けた壮年幹部や理事は、池田が牧口から直接指導を受けていないこと、池田が学会内の席次が37位と低く、自分たちより下に置かれていたこと、池田の若すぎる年齢(会長就任時32歳)による経験不足などを指摘、反発していた。学会元理事長の青木亨は大白蓮華の中で「第3代会長は池田総務以外にありえない青年部はこの思いで一致していた」と証言、また青木は牧口の薫陶を受けた壮年幹部や理事の反発を裏付けるように「理事の中には威張っている幹部もいた。教学ができることを鼻にかけいつも冷たい態度だった」と証言し、牧口の薫陶を受けた幹部を批判した。

 当時、創価学会は11人の理事による理事会が中心となって運営していたが、その大半が牧口の薫陶を受けた年配者であった。理事たちは池田の会長就任後、『会長は理事会の決定によって任免することができる』と会則を改正した。理事たちの意図は会則を設けることで会長となった池田や青年部の動きを牽制し、状況によっては池田を罷免し別の人物を会長に擁立しようと考えていた。これに対し池田は改正を了承。会則改正後、池田は牧口の薫陶を受けた理事を国会や地方議会の議員に当選させることで懐柔し、会則変更から4年後『会長は副会長や理事を任免できる』と会則を再改正、盤石な基盤と権力を確立したとされている。

 また学会内部でも自民党の55年体制時代、将来の公明党の進路に対し男子部、壮年部が自民党を中心とした自公民路線を推奨したのに対し女子部・婦人部が社会党を中心とした社公民路線を推奨したため大きな内部対立が起こり選挙にも影響が出たこともあった。また新進党時代には党首小沢一郎の政治手法を巡り創価学会内でも親小沢派と反小沢派とで意見が二分、第41回衆議院議員総選挙では創価学会本部や新進党の意向に反し、学会組織票として対立候補の自民党や民主党の候補者へ投票した選挙区や自主投票とした選挙区もあり事実上の分裂選挙になった。

 1998年の公明党再結党時には親小沢派の議員が公明党に加わらず小沢自由党の結党に参加した。2010年には前年の総選挙で落選した太田昭宏公明党前代表の公認を巡り学会内で賛否両論が巻き起こった結果、太田が衆議院選挙へ出馬する意向を固めた事例もある。
 ノンフィクション作家の溝口敦は現在の創価学会で一番権力や影響力を持っているのが学会婦人部であり、後継者になる人間が学会婦人部を完全に掌握できない限り、創価学会は内紛、分裂の危機に陥いると述べている。



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